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  • 2011.12.11 Sunday
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【文語短歌】自由自在・その12【古典和歌】

どうもおひさしぶりです、さねともです。

震災以後、このブログも途切れ途切れになってしまいました。
あれから生活じたいが変わってしまったということはないのですが、密度は濃くなった気がします。特に残業と休日出勤が。

このブログは以前にも更新が途絶えてしまったことがあります。それをまた繰り返してしまったこと、読んでくださっている皆様にはとても申し訳なく思っております。

これから少しずつ、前の状態に戻してゆこうと思います。

以前のように毎週日曜日更新は難しくなってしまいましたが、一ヶ月ごと(5週間に一度)のペースで記事を載せてゆくことにします。

変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

さて、私の記事ですが今回は藤原俊成という人物を取り上げてみようと思います。

藤原俊成(ふぢはらのとしなり)、永久二年(1114年)〜元久元年(1204年)平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人。七代集『千載和歌集』の選者。定家の父。

俊成という人は、百人一首に歌が採り上げられています。

世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(千載・雑中)


この歌、ジジ臭いというか、なんだか人生に疲れた人の述懐として受け取られがちですが、この歌を詠んだとき俊成は27歳でした。

90歳まで生きた俊成は、「生まれた時からジジイ」みたいなイメージが強くて、この歌もそんな感じに見えてしまうのでしょう。

どっこい、これは実は恋の歌でもあります。


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【文語短歌】自由自在・その11【古典和歌】

どうもみなさんこんにちは。
さねともでございます。

実は、私はいま親鸞(しんらん)という鎌倉時代の坊さんにハマっております。

こういうことを書くと何やら宗教じみた話と思われるかもしれませんが、そういうこっちゃありません。だいいち、さねとも家は真言宗だし、今さら改宗するつもりもありません。また真宗系の新興宗教に入信するのもまっぴらごめんです。

そうではなく、親鸞という人物と劇的な出会いをしたということです。



今回は私の震災体験から。

あの地震のあった2011年3月11日(金)、私は普通に仕事をしていました。日中の職場の混乱ぶりについては何も申しますまい。とにかく当たり前に残業をして、家に着いたのはもう翌日の日付になっていました。

家に着いて部屋の電灯をつけたら、そりゃ大変なことになってました。冷蔵庫は20cmくらい動いてるし、積み上げてあった本は大雪崩。被災地の方々のご不便とは比べ物にならないものですが、それでも辛かった。めちゃめちゃになった部屋を見回して、情けないやら悲しいやらで自然に涙が出てきました。人間、こういうときは泣きたくなるのでしょうか。

ともかく本の雪崩だけは何とかしようとその山に手をつけたとき、埋もれず一番上に飛び出している一冊がありました。

歎異抄(たんにしょう)』という本でした。

『歎異抄』は親鸞の弟子である唯円が師の言葉を引用しながら教団内の異説をたしなめる内容の文書で、親鸞関係の文書の中でも特に重要なものの一つとされています。

私がいつこれを買っていたのか記憶がなく、貼ってあった古本屋の値札には200円と書かれていました。おそらく文語や古典の本を片っ端から集めている最中に何かのついでに買ったのを、読まずに積んでおいたのでしょう。その『歎異抄』が「俺を読め」とばかりに飛び出していたわけです。

ちょうどその時は読んでいる本もありませんでしたし、上述の通り不安な気持ちを引きずっていましたから、何か救いのようなものが得られればと思い手にとってめくってみました。

そこで出会った言葉に私は打ちのめされます。



【文語短歌】自由自在・その10【古典和歌】

どうもこんにちは、さねともです。

前回の連載からかなり時間が経ってしまいましたが…今回は予告通り文語短歌の実作篇を。

といってもですね、最初におことわりしておきますが、これを読めばただちに文語短歌が作れるという代物ではありません。これは私の持論なのですが

かんたん文語はこの世に存在しない

です。

簡単に文語短歌が作れるなら、わざわざ口語短歌を詠む必要はありますまい。どっちかというと私が書こうとしているのは文語の面倒くささであります。

まず、文語短歌を詠むにあたって用意していただきたいものがあります。それは、古語辞典。

高校時代に古文の授業で使ってた古びたようなやつで構わないですが、なるべく高いものを用意してください。というのは高い方が例文が充実していたり、特に和歌の用例が豊富だったりします。さらに巻末に古典の資料が詳細に紹介されているようなやつだと言うことなし。私はコレをオススメしておきます。大学受験用としては定番の辞典でして、読み物としても充実しています。電子辞書もいいとは思うのですけれど、辞書は調べるだけじゃなくて出来ればぱっと開いたページを読むくらいの姿勢で臨んでほしいです。とにかく「辞書は読み物」がキーワード。

ここであれ? と思った方!

はっきり書いちゃいますが、短歌やるにはお金がかかります。短歌を長く続けると、本当にいくらかかるんだっていうくらいかかります。辞書や有名歌人の歌集にお金かけてるうちはまだいいのですが、いざ自分の歌集を出版する段になると目玉が飛び出るくらいのお金が必要になります。辞書を買った時点で、その第一歩を踏み出したと意識してほしいところ。

さてさて、辞書。

最初のうちは知らない言葉や分らない言葉をビシバシ調べてゆくことになるわけですが、慣れてきてからも常に辞書はそばに置いてほしいです。知ってる言葉でも調べられるようになるのが理想です。

たとえばですね。


【文語短歌】自由自在・その9【古典和歌】

こんにちは、さねともです。

私の連載はおもに文語短歌と古典和歌について書いてます。いまは文語の学習方法という、自分でもそんなの始めて大丈夫なのかというくらい無謀な試みをやっています。

でもこの試みについては、本当に伝えたいのは「文語を学習する時間がもったいないから口語の方がいいよ」ってことであり、また文語がどんなに面倒臭いかを知らしめたいと思うものでもあります。

はっきり言っちゃえば、一人でも多くの人に文語で詠むことをあきらめさせたい。それが狙いだったりします。

短歌は最初は模倣から入る。これは口語も文語も関係なく、模倣から始めない人はいないと思う。文語の場合は特にそれが顕著で、お手本がないことには始められないし、それにも増してお手本となるべき文語短歌の入手しやすいものになるとどうしてもひと昔もふた昔も(場合によっては何百年も!)前のものになってしまう。

どうしたらいいんでしょうね。

一つには、文語を短歌から学ばないというのを掲げました。文語の文章をとにかく読みあさることで、かなりの部分をカバーできると思います。そのための資料は前回お知らせした通り。

では次の段階は?

これであります。「師となる人を見つける」。


【文語短歌】自由自在・その8【古典和歌】

 こんにちは、さねともです。

今回も文語の学習方法について書こうと思っていました。

…いましたが、ここのところ私生活の仕事が大変なことになっていまして、ゆっくり書く時間が作れなくなっています。楽しみにして頂いている読者の皆様には申し訳ないことですが、今回は箇条書きにして時間が取れた際に詳細を書き足そうと思います。その際はお知らせいたします。

今回の予定は、前回紹介した『文語訳聖書』に続いて良質な文語の文章を挙げようと思っていました。文語の本を出来るだけ安価で入手したい人のための最大の味方、岩波文庫のラインナップです。

■『萩原朔太郎詩集(氷島)

朔太郎は口語自由詩のフロンティアですが、その晩年に出した『氷島(ひょうとう)』という詩集は文語詩でした。そこに回帰したと結論付けるためには議論があるようですけれども、これは何とも言えず良い詩集です。

■『珊瑚集』永井荷風著

これは荷風がフランスの詩を文語訳している詩集で、これもとても良い。

■『自然と人生』徳富蘆花著

これはとても不思議な本で、文語の散文詩といったようなもの。このあたりから中級者向け。

■『蘭学事始』杉田玄白著

ご存じ『解体新書』を世に送り出した歴史的人物のエッセイ。江戸時代の書物と思えないほど読みやすく、文章もとても美しいです。

■『一国の首都』幸田露伴著

上級者向け。江戸から東京に生まれ変わった日本の首都の問題点をズバズバ書いている本。現代でも普通に通じる内容に驚いてください。

ポイントは、できるだけ定型でない文章を読むこと。五七調の詩などは読むときの勢いがよいものですが短歌の調べに直結してしまうのでオススメしません。

まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、今回はここまで。ぜひ入手してみてください。




(このウェブサイトに掲載されている情報は、著作権法に基づき保護されています

【文語短歌】自由自在・その7【古典和歌】

どうもこんにちは、さねともです。

私はこの歌クテルwebマガジンでは、古典和歌と文語短歌をメインにエッセイのようなものを書いています。以前にも書きましたがこのjugemさんのブログには検索キーワードという機能がついていまして、このブログを見に来て下さった方々が、検索サイトでどんな言葉を検索したのかが分かるようになっています。

そのワードはたとえば…「歌クテル」であったり「日野やや子」であったりしますが、最近は「文語短歌」「文語」というワードも多くなっていまして、文語短歌というものに興味を持ってくださる方がいらっしゃっているのが、とてもうれしい。文語や文語短歌の、いったい何を調べようとして来てくださったのかを想像するのも楽しい。

みなさんが求めていることはいったい何でしょうか? 私が答えられる範囲で答えてゆきたいと思いますよ。

そういうわけで今回はいったん基本に立ち返りまして文語の学習方法について書いてみようと思っています。

現代において、文語が使われる場面というのは非常に限られています。極端なことを書いてしまえば、俳句と短歌しかないのではないでしょうか。その一つの短歌においては今や口語短歌が主流になったと言ってもいいくらい。そういう風潮の中で文語で短歌を詠もうという方、私は大好きであります。

ただ、文語というのは学習方法がいかにもめんどうくさい。それに文法にうるさい人にかかると、文法が間違っているというだけで短歌の内容にさえタッチしてくれないといったような目にも遭います。そんな辛い思いまでして文語を学習するくらいなら、はっきり言って口語で詠んだ方がいいです。少なくとも短歌じたいは読んでもらえる。自分の短歌の詩の部分に触れてもらえる。

それでも、文語で詠みたいですか?
詠みたい方は…



【文語短歌】自由自在・その6【古典和歌】

こんにちは、さねともです。

9/11(土)のこと…休日出勤だったわたくしメは23時30分になってようやく仕事のメドが立った! と安堵しておりました。

が。

………

………………

………………………

おい! 今度の連載、俺じゃねぇか! 仕事してる場合かっ!
と、今回は言い訳から入るのでございます。

読者の皆様、たいへん申し訳ありません。今回、さねともの連載は急場しのぎになってしまいます。





【文語短歌】自由自在・その5【古典和歌】

こんにちは、さねともです。

とうとう連載5回目です。いやー、ここまでこれて本当に良かった! もう肩の力抜いて、本気でざっくばらんにやらせていただきますよ。

さてさて、今回は『文語における若さとは何か』の続きでしたね。そんなの肩の力抜いて大丈夫なのか、というツッコミはさておき、今回は口語と文語の違いから。

我々が普段しゃべっている日本語を「口語」と言います。これに対して「文語」というのは本来の意味では文章語を意味します。今でこそ話し言葉も文章も全て口語を使って我々は過ごしていますが、かつての日本人は話し言葉と文章語を厳密に分けていました。

たとえば…いま大河ドラマで『龍馬伝』やってますでしょ?

あれの台詞はもちろんドラマ的に現代語みたいなものになっていますが、すでに幕末の頃の会話は現代日本人にも通じるような言葉で行われていただろうと言われてたりします。大体、龍馬が死んでから20年で二葉亭四迷の言文一致小説『浮雲』が書かれるのですから、もうその頃には文語と口語の差は相当な開きがあったのです。

試しに『浮雲』の台詞部分を。

「けれども山口を見たまえ、事務を取らせたらあの男ほど捗のいく者はあるまいけれども、やっぱり免を食ったじゃアないか。」
「あいつはいかん、あいつはばかだからいかん。」
「なぜ。」
「なぜと言って、あいつはばかだ、課長に向かってこないだのような事を言う所を見りゃア、いよいよばかだ。」

うん、これはそのまま読めますな。
さすがに20年間で口語ががらっと変わることもないでしょうから、幕末の頃にはほぼこれと変わらないような会話が為されていたであろうと。

ではほぼ同時期に書かれた森鴎外の文語小説『舞姫』より台詞部分を。

「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯だになし。」
「君が家に送り行かんに、先づ心を鎮め玉へ。声をな人に聞かせ玉ひそ。ここは往来なるに。」

んー。
これいかがです?

文語として見たらとても美しいのですが、これは会話としてはあまりに無理がある(苦笑)。



【文語短歌】自由自在・その4【古典和歌】

どうもこんにちは、さねともです。

連載第4回目!
うれしいですねー。

そして今日のごあいさつ。

さる6月20日(日)のこと、「爆笑レッドカーペット」というお笑い番組を見ていましたら、最近流行りの「なぞかけ」でこんなのをやってました。

「病院」と掛けまして「お年寄りの趣味」と解く。

その心は!

「タンカ(担架/短歌)」を使います。


これは切なかったなー。しみじみ切なかった(苦笑)。
どれくらい切なかったかと言えば、フジテレビに抗議の電話をしようと思ったくらいに(爆)。

短歌に対する世間のイメージってそんなもんかもしれませんな。

若い人が携わっていようとなかろうと短歌はお年寄りの趣味、たとえて言うなら盆栽などと同じようなものであるのでしょう。

でもちょっと書いておきたい。

前にもどこかで書いたことがあるのですが、たとえば盆栽のようなお年寄りっぽい趣味のこと。あれは別にお年寄りだけの趣味ってわけじゃないんです。年取ってから始めた人も多いかもしれませんが、大体の人は若い頃から趣味として盆栽やってる。そういう人たちがそのままお年寄りになっただけのことであって、キャリアが長い分中心的な存在になってしまうのです。

そして短歌もその通りで、本当は若い頃から続けてきた人たちがそのままお年寄りになっているだけで、お年寄りになってから短歌を始める人の方が実はずっと少ない。でもこれを力説したところで冒頭のなぞかけを覆すだけの説得力はないんだろうな、とも思う。



【文語短歌】自由自在・その3【古典和歌】

どうもこんにちは、さねともです。

連載第三回目、の前にごあいさつ。

おかげさまで『歌クテルwebマガジン』に思った以上のアクセスを頂いておりまして、毎日アクセスログを見るのが楽しみになっております(笑)。それで、このwebマガジンはjugemさんのシステムを使わせて頂いておりますが、jugemさんのアクセスログに「検索ワード」という機能がついていましてね。読者の皆様がgoogleやYahoo!などの検索サイトで、どんな言葉を検索してwebマガジンを見にきてくれたかが分かるようになっています。

そしてその検索ワードのログに、こちらが登場しました。

「和歌 短歌 違い」

これは嬉しかった!
少なくとも「和歌と短歌の違い」という素朴な疑問について興味をお持ちの方が前回の私の記事にたどり着いてくださったわけでして、お役に立てたかどうかは分かりませんけれども私にとっては「書いた甲斐があった!」と充実感にひたるだけの感慨がありました。

というわけで…

今回も和歌と文語短歌の違いについて、書かせていただきます。


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