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- 2011.12.11 Sunday
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ヘリウムガス吸っておかしな声のまま受話器のなかであなた唄った(『五十音式』より)
はい、どうもです、日野です!!
まだまだ世の中、震災の余波でごたごたしていますが、いかがお過ごしですか?
ただただ、みなさんがすこやかであることを願っております。
Kotonoha-mixではこれまで、さまざまなクリエイターさんたちとの対談をお届けしてまいりました。
が、諸々の事情で今年、お話がうかがえておらず…さてどうしようと考えまして、ここは満を持して日野のフェイバリットアーティスト・有村竜太朗さんについて語ることにいたしました。
日野の身近な人はご存知かと思いますが、有村氏はPlastic Treeというロックバンドのヴォーカル・ギター担当でして、ファッション誌「KERA」の「パノラマ白書」というページに毎月短歌を連載されています。
というわけで、さすがに取材の申し込みはためらわれ、一方的に書かせていただくわけですが…してみたいよなー、取材。
■夜遊びは少女幽霊のはじまり。
時をさかのぼること17年、少女日野とPlastic Treeとの衝突は1994年の夏でした。これわりと、妙な自意識で公言するのがはばかられていたんですが(笑)、Plastic Treeのインディー時代と日野の高校時代の3年間が、がっつりとかぶっていたのです。それはもう奇跡のように。
みなさんも、思い出してみてください。少年少女時代、とりわけ中学・高校時代の体験って、悔しくなるぐらいキラキラしてますでしょ?
わたし、当時ですらそれがおそろしくて、冬の風呂場で頭から水をかぶったりしていました。どうやら、なにかを中和したかったらしい。
それはさておいて、少女日野がPlastic Treeをたまたま目にしてしまったのは、千葉は市川の(今はなき)CLUB GIOの通常ブッキングの夜。ヴィジュアル系ながらニューウェイブやパンクの流れを汲んだロックンロールという個性的な音楽性もさることながら、黒いドレスで跳びはねたりクルクル廻ったりパンキッシュにシャウトする有村さんに、ハートをわしづかみされたものです。
その3ヶ月後にわたしの地元・横浜でライブがある時に、はじめて手売りのチケットを買い、それから日野の「プラ通い」がはじまったわけです。
もともと文芸や音楽にはマセガキだったわたしも、村上龍や安部公房などを読んだり、「時計仕掛けのオレンジ」や「ベティ・ブルー」を観たり、The CureやRadioheadを聴いたのは、有村さんの影響でした。16歳の夏に聴いたMy Bloody Valentineはずっと残響しているし、宮沢賢治作品やエヴァンゲリオンにたどりついたのも彼(ら)のおかげ。
わたしと創作との蜜月もこの頃で、なんて幸せな少女時代だったんだろう。
今回は、2010年12月の文学フリマ終了後に居酒屋(2軒目)で繰り広げられた、歌クテルの“本丸”・A.I嬢と、“営業部長”・里見浩都氏とのトークをお送りしてまいります♪
とても楽しかったけど、2軒目での座談会はちょっと無謀でした(笑)。ヒア・ウィー・ゴー!!(←自棄)
■北枕だからやめてくれ。
里見:今日はある意味、歌クテルの“本丸”とのトークでしょ。連載最終回なの!?みたいな(笑)。
日野:またとないですよー。ところで、歌クテルに絡み始めたのっていつ頃だっけ?
A.I:3号の前だよね。「歌集喫茶うたたね」の歌会があって。
里見:その歌会に行った時に、いろいろ話を聞いて、2号を見せてもらった時に笹井さんの歌が面白くて、「入っていい?」って。
日野:3号あたり充実してたよね、ほんと。
A.I:3号がいちばん人数が多かった。それで3号は2冊同時刊行にしたんだよね。
里見:3号面白かったなあ。あの、青春を燃やした感じっていうのはすごいなと思ってて。3号は自分でも正直150%を出した。それにしても、4年の積み重ねで今こうやって飲んでると思うと、うすらふるえる。歌クテルはありがたいよ、本当に。えーちゃんに足向けて寝られない(笑)。
A.I:頭を向けて寝ると北枕だからやめてくれ(笑)。
日野:東北枕だから大丈夫。太平洋側だからね(笑)。
里見:俺、ありがたいわりには仕事はしてないんだけど(笑)。
A.I:わたしが抱え込むタチなんだよね(笑)。まあ、仕事を苦にしているわけでもなく、好きなんだよ、そういうこと。今、歌クテルの本誌は休刊しているけれど、それはまた別の理由があるんだと思う。
■歌クテルクロニクル。
日野:えーちゃんは、人の短歌を読んで短歌を始めたの?
A.I:それがね、わたし短歌をいちばん始めに作った時は、他人の短歌をほとんど読んだことなかった。百人一首は好きだったけど。
里見:短歌を始める時って、「面白いからやる人」と「受けとめられたからやる人」というパターンがある気がするね。
A.I:はじめは、失業していてすごいヒマだった時に、懸賞にハマってて、懸賞雑誌にたまたま短歌を募集してるのがあって。短歌を書いて送ったら、たまたまなんかの賞に引っかかったの。んで、「わたし才能あるかも……」って(笑)。
里見:これで受けとめられたんだ、っていう。
A.I:そうだね、受けとめられたんだよね。
里見:自分が詩を書きだした時もそんな感じだったよ。
日野:そうだったんだ。
里見:16歳まで書いたことがなくて、高校の国語の授業で「詩を書いて来い」って言われて、夜中までこんこんと5篇ぐらい書いた。授業で発表した後で、今さら恥ずかしいんだけど同じクラスの子に「高村光太郎みたいだな、って兄が言ってたぞ」って言われて。舞い上がるじゃない、そんなの。詳しく知らなかったんだけど、高村光太郎。
A.I:わたしは好きだよ、知恵子抄。
日野:読んだなー、知恵子抄。
里見:男の子は、光太郎に共感できない(笑)。でも、受けとめられたのがあって、そこから家でノートにこつこつ詩を書きだして、はじめて彼女ができた時に見せて「キモい」って言われて(笑)。
日野:わたし詩歌よりも短編小説的なもの書いてたな、高校生の時。国語の先生は、小説は褒めてくれたんだけど、歌は赤ばっか入って返ってきた覚えがあるな。
A.I:添削されてたの?
日野:わざと違う漢字を使ってみたりして、それがイタ過ぎたのかもしれない(笑)。
里見:見たいけども、多分イタイと思う(笑)。
A.I:この流れでだんだん思い出してきた……。高校生の時に、文芸部サークルに入ってたの。そこで詩のようなものを書いていたことがあるけど、あまりにもイタすぎて・・・。
里見:それ見てーなー。
A.I:やめてくれ(笑)。人生から抹消してるから。
里見:えーちゃんがそれを出すんだったら、俺も高校時代のはじめて書いた詩を5篇出すよ。それで歌クテル6号出すぞ。
一同:(爆笑)
里見:歌クテルクロニクルで、タイトル「原点」って(笑)。
日野:「あの頃君は若かった!!」って。
里見:俺、そのためなら部屋掃除して、とっといたプリント全部出すよ。
日野:実家帰りますよ、そしたら(笑)。
A.I:わたし結婚する時、実家からほんの少しだけど回収してきたよ。
里見:アハハハ!!
日野:嫁入り道具だ(笑)。
A.I:でも、ほとんどは捨てちゃった。わたし、若い頃に書いたものとか手紙とかで、実家で焚き火しちゃったの。
里見:えーちゃんのエピソード、なんでそんな昭和48年〜52年ぐらいの香りがするの。焼かねえよ手紙(笑)。
A.I:うちの母ちゃんが言うには、母ちゃんは若い頃はすごくもてたんだって。でね、もらったラブレターを燃やして焼き芋を作った、というエピソードを聞いてて。真似してみたかった。わたしのはラブレターとかじゃなかったし、焼き芋も焼けなかったけど(笑)。
前回に引き続き、細谷貴宏くんとの対談です!
今週は、「shinonome」を掘り下げながら、ものづくりについて語ります。
ヒア・ウィー・ゴー!
■気持ちよさのため。
日野:作品つくってみて、どうでしたか。
細谷:今まで溜めに溜めてきたものを、とりあえず、どわーっと出した感じはありましたね。やりたいことやった、みたいな。
日野:話が立ち上がってからは、どれくらいの期間だったの?
細谷:えーと、「本書いて演出しない?」って言ってもらったのが8月なかば。
日野:じゃあ、実質2ヶ月ないぐらい? スケジュールがなかなかタイト。
細谷:でしたね。でもたぶんプロの人たちって、1ヶ月で稽古して上げるみたいな感じだから。
日野:バッタバタだったでしょう、終わるまで。
細谷:バッタバタでしたねー、もう。ふとんで寝てなかったですからね、2ヶ月ぐらい。
日野:タフだわー。
細谷:ほんとにね。バイトもあったし。人間のやることじゃないですよ、お芝居なんてものは。
日野:でも人間じゃなきゃできないからね(笑)。人間て、なんでやらなくてもいいことがやりたくなるんだろう。
細谷:ね。謎ですよね。なんでこんなめんどくさいことやってるんだろう、って。
日野:ねー、しちめんどくさい。わたしもたまに「なにやってるんだろう?」って思う。
細谷:そこは最近、単純に「自分の気持ちよさのため」って割りきってますけどね。自分が気持ちいいでしょ?
日野:たまに気持ちいいな。
細谷:あ、たまにか。そっか。
日野:なんかね……「産みの苦しみ」があって、「うわー、気持ちいいー!」みたいな。ためてためて。
細谷:あの、おしっこ我慢して我慢して出したら「気持ちいいー!」みたいな?
日野:うん。
細谷:結局、「お客さんの気持ちよさ」と、短歌なんかでいうと「読む人の気持ちよさ」と、「自分の気持ちよさ」を、どうイコールに結びつける方向に持っていくか、みたいな。でも表現することって、わりと本能に近いようなところがあると思うんですよね。演じるなんていうのは、絶対そうで。
日野:なんもしてなくても人間、演じてたりするし。
細谷:うん。だから、それを美しいものに、見せられるレベルに、どう昇華させていくかみたいな。お芝居なんて誰でもできるんだから。英語では「play」ですからね。
日野:ああ、「遊ぶ」と一緒。日々みんなしていることを、エンターテイメントとして昇華して、人に見せるんだもんね。
細谷:そうそう、そういうことです。
日野:日々仕事していれば、ショップ店員である自分を演じたりとか、会社の○○課の事務員である自分を演じてみたりとか……
細谷:そうや、それで思い出した。ヘドウィグの「Wig in a box」って曲わかるかな。
日野:ああ、カツラとっかえひっかえするやつ。
細谷:あの歌詞、なんかすごい好きで、「メイクをして、わたしは深夜のレジ打ちの女王よ」みたいな。「でもベッドに戻って、カツラをはずせばわたしに戻る」みたいな。そういうことなんですよね。
タカノ ゆらゆらゆらゆら、あたしは揺れて、ふらふらふらふら、あたしは不埒に揺れながら、待っている。揺れながら、あたしは何かを思い出す。ゆらゆらゆらゆら、ふらふらふらふら、揺れながら、何かを思い出すのを待っている。
(「shinonome」より)
今回のkotonoha-mixは、先月予告させていただいたとおり、演劇人の、ほっさんこと細谷貴宏くんとのトークを、処女作品「shinonome」の台本も一部ご紹介しながら、2週にわたってお送りしてまいります♪
若干23歳ながら、高校生の頃からただならぬセンスの短歌や俳句をつくっていたほっさん、注目株ですよー!
■どんぐりとか食べてたと思うな。
日野:ほっさんとは、なにげに長い付き合いになるよね。初代のホームページの初期(2004年)からがっつり絡んでもらって、6年にもなるんだよね。
細谷:だよね、全部見られてますもんね。お互いにかもしれないけど。
日野:いちばん多感な頃(笑)。
細谷:ほんとにね! びっくりするもん。あの頃の日記は消しちゃったけど、今読めないと思うな、あれは。全身粘膜みたいな。
日野:(笑)高校生の頃って誰しもそういうもの抱えてるかもしれないけど、それを言葉にできる子ってよけいに悩みやすいのかなーって思いながら。でもほっさんの文はすごい読めた。なんかすごい覚えてるのが、一人でよくわかんないけどフラーっと東京タワーに行って、行列に並びながらほっさんのブログ見てたんだよね(笑)。
細谷:覚えてます! コメントくれてましたよね、掲示板に。
日野:うん、したした。はずかしいな、お互い(笑)。
細谷:ね。ね。なんかね。だけどほんとにぼくは、幸運だったと思いますよ。ホームページなんかつくって、いい人が寄ってきてくだすって、見守ってくれてたみたいなところがあるから(笑)。
日野:みんなの弟、みたいな。
細谷:人に恵まれてたと思うな、たぶん。いろんな出会いがなければ、ぼくは山奥でどんぐりとか食べてたと思うな(笑)。
日野:どんぐり食べてたんかい(笑)。
細谷:どんぐりかわからんけど。うん、だめになってたような気がするな。
kotonoha-mix4組目のお客様は、精力的に短歌の創作・歌集の制作・イベントへの参加をしている、日野の同世代歌人、藤原桃ちゃんです!
リアルな恋のみならず、BL短歌・百合短歌と、幅広く手を伸ばす桃ちゃんの、エロくも切ない桃色ワールドに迫ってみました♪ ヒア・ウィー・ゴー!!
■楽に息ができるんだけど!
日野:桃ちゃんは、結社とかサークルに入らずに一人で活動してるんだよね。
藤原:そうですね。6年前に、なんとなく5・7・5で言葉遊びをしてて、短歌を昔やってた友達に「ねえねえ出来たんだけど」って言ったら、「あとに7・7って付けると短歌になるよ」って言われて7・7まで付けて。短歌をはじめて詠んだのがその時。
日野:遊びで作り始めたんだね。自然に出てきたっていうか。
藤原:って、思ってたんですよ、自分でも。でもあたし、俵万智とか桝野浩一とか林あまりとか、意外と読んでたの。でも、桝野浩一の『かんたん短歌のつくりかた』に投稿の短歌がいっぱい載ってて、こんな若い子達がこんなすごい歌を作ってるんだったら、あたし今さらやっても無理だな、みたいにあきらめてたのね。こんなの作れないし、って。
日野:難しく思っちゃったんだ。
藤原:そう。そこから3年後ぐらいだよね、詠みはじめたの。
日野:やっぱり、縁はあったんだね。伏線的な。
藤原:そうそう、伏線があって。あたしはとにかく何か書きたいんだけど書けなくて、苦しくてもがいてる感じ……が、25〜6までずーっと続いていたから、短歌に出会った瞬間に「ちょっ、楽に息ができるんだけど!」みたいな感じになって。で、ブログをはじめて、それが「藤原桃の桃色短歌」っていう、今もやっているサイト。だからはじめた時に、周りに短歌やってる人がいるわけでも師匠がいるわけでもなかったの。ブログ始めてから偶然「文学フリマ」っていうイベントがあることを知って、ちょっと自分で本作ってみようかな、自分の名前で本出したいなーと思って、はじめて作ったのが『桃色短歌vol.1』。知り合いのデザイナーさんに表紙だけお願いして、中身とか全部自分で作って印刷所に出して、一人で文学フリマに参加したの。
日野:勇気あるよね。
藤原:ブルッブルだったよ。超ふるえた。なにするわけでもないのに緊張して手ふるえちゃって。何回か出て、今は慣れたけど、はじめて出た時は、誰に認めてもらったわけでもない人間が、こんなところで値段をつけて本を売るってことに、ものすごい緊張感。でも15冊くらい売れて、びっくりして。売れて5冊だろうと思ってた。
短歌って、孤独な創作だなぁとしみじみ思うyayacoです、どうも。
だからって決して孤独が好きなわけじゃないので、バンドの舞台裏映像などを見ては、うらやましくなっちゃったりしてます。しかし、共同創作ってどんなもんなの?
kotonoha-mix第5回、首都圏で活動するインディーズ・ポップバンド、LITTLE SISTERさんをお迎えしていろいろ聞きました★
LITTLE SISTERは、コウ(ベース・リーダー)・サトシ(ギター)が中心となり、こころ(ヴォーカル・キーボード)を迎えて2005年に結成された3ピースバンド。5月に「0(ゼロ)」のPV(監督:サカイショウ/プロデューサー:勝呂隆男)を発表し、ただいま絶賛進化中、過渡期のかがやきを見せております。では、ヒア・ウィー・ゴー!!
■ ナチュラルボーンと職人と。
日野:メンバーさん全員で作詞・作曲されてますけれども、ものをつくりたいっていうのは、昔からあったものですか?
サトシ:僕は前からそんなにいっぱい曲を書くほうじゃなくて、締め切りに迫られてやっと出てくるみたいなタイプなんで(笑)、期限を決めてもらわないと、いつまで経っても曲が出てこないんです。ごくまれに、何の気なしにつくって持ってって「やろうか」ってなる時はありますけど。
コウ:僕はもう、湧いた時です。
日野:どういう時に湧きます?
コウ:バイト中とか、パソコンに向かってない時ですね。……あと、寝起きです。寝てる間に曲づくりをしてるみたいで、起きたらできてる。
日野:すごおおい!(笑)なんか、ナチュラルボーン。
コウ:でも結構聞きます、それ。ポール・マッカートニーがそんなこと言ってた。
サトシ:ふだんから何かをつくろうっていう考えている人はそうなるらしいです。エジソンとかも、何かものを持って椅子に腰かけてボーっとするらしいんですよ。そうすると、うとうとしかけるじゃないですか。で、手に力が入らなくなってものを落とす。そのポトッて落としたことで目覚めて、あ!って、研究室に向かって、っていう。
コウ:茂木(健一郎)さんがテレビで言ってたんですけど、寝る30分前はゴールデンタイムだって。その間にやったことっていうのはすごく脳にいいって。寝る30分前ぐらいに練習したりとか曲つくったりとかしてたら、起きた時にはそれがバージョンアップしてるっていうか。
日野:形になってきてる。ああ、やろうかな!(笑)
サトシ:たぶん脳がリラックスしてるとか、そういうのでしょうね、たぶんね。でも寝る30分前から曲つくったら、寝れなくなるじゃん(笑)。
日野:こころさんも曲つくったりするんですよね?
こころ:はい。中3ぐらいからずっと作詞・作曲をしてて、LITTLE SISTERの曲だと全体の1〜2割は私かな。
日野:こころさんが詞を書くことが多いですよね?
こころ:8割ぐらい私ですかね。
日野:詞は、コウさんやサトシさんの曲から、イメージを膨らませて書くんですか?
こころ:そうですね。サトシさんの曲でもリーダーの曲でも、1〜2回聴いたらイメージがパーッと出来るので。
日野:じゃ、特に作曲者から「こういう詞を書いてね」っていうのはなく?
こころ:言われたことあったんですけど、私もすでに「やっぱそうだろうな」って思ってたりとか。
日野:ああ、そうなんだ…通じ合っている(笑)。
こころ:イメージはふっと出来ても、それを音符に入れてく作業が意外と難しくて。
コウ:たまに僕が(詞を)書いてる曲があるんですけど、歌詞と曲メロが同時進行で浮かんだりします。音符で適当にメモするんですけど、その時にもう、同時に浮かんだ歌詞で書いてたりとか。あとで変えることもありますけど、だいたいの歌詞がメロと同時に浮かんでる時は、やっぱりベストだと思って。
こころ:いろんな場合がありますよね。私も詞から出来てメロディーがついてくることもあるし、同時の時もあるんで、みんな1パターンではないのかな、と思いますけど。
コウ:実は新曲の「RAIN」、あれ僕、歌詞書いてた。
こころ:あっ、そうなんですか?
コウ:ちょうど同時パターンで歌詞書いて、あの…出来た歌詞を見て、これはこころに頼もうって。自分で考えたくせに、ちょっとね、女言葉っていうか、僕が言うとオカマ言葉みたいな歌詞になってたから…
日野:だって、こころちゃんが歌うんだからいいんじゃない?(笑)
コウ:こころの言葉じゃないし、だいたい僕がそれを見せるのが恥ずかしい(笑)。
こころ:はは、そうなんだ(笑)。
日野:メンバーも「今知りました」的な(笑)。一人じゃないから、そういうのもまた楽しいかもしれませんね。
こころ:そうですね。
前週に引き続き、作家・阿川大樹さんとの対談をお送りしてまいります♪
日野も参考にしたいことがいっぱいです、他力本願の連載になりつつあるけどヒア・ウィー・ゴー!
■ 物語をつくる練習。
日野:ここ(黄金町)へ来て1年と少しでいろいろ面白いことを見てこられたと思うんですけれども、それをもとにして小説を書かれたりするんですか?
阿川:そうでしょうね。いつそれが小説という形になるかはぜんぜんわかんないんですね。物語では、メインストリームのところで出来るだけとんでもない嘘をつくために、すっごく細かな部分のリアリティが必要なんで、いつもなんでも見てるんですけど。
日野:ふつうの人だったら見逃してしまいそうなことでも、たくさんアンテナに引っかかってきそうな感じがします。
阿川:そうですね、観察自体が好きだっていうこともあるんだけども、見る場所はぜんぜん違うかもしれないですね。
日野:たとえば何か書きたいと思った時に、わたしは風景を見に行ったりして、そういう時にはバンバン情報が入ってくるんですけど、普段ふつうに歩いててネタを拾おうとすると、アンテナの感度が鈍るというか(笑)。もともと意識されるほうだったんですか? いろいろなことを。
阿川:きっとそうなんだと思うんですけど、ただね、そういう訓練法があると聞いて訓練しているとかではないんですけど、しょっちゅう練習はしてるんです、物語の。なんでもいいんですけど、たとえば物を見たら、作った人のことを考える。(カップを持って)これ、取っ手があるじゃない。朝から晩までこの取っ手だけ作ってる人がいるんですよね、どっかに。その人のことをたとえば考えてる、これ見て。その人、どんな工場で、従業員何人ぐらいいて、社長は何歳ぐらいで、奥さんが会社の経理とかやっていて、社長やたらタバコ吸う人で、事務所のクーラーがヤニだらけになっていて、古いから音が大きいわりに夏でもあんまり涼しくない。で、カレンダーに書き込みがしてあって、ナントカ産業の納期とか書いてある。で、高島易断の暦が置いてあったりとか、そういうことを考えるんですよ。
日野:すごい細かい、ディテールが(笑)。
阿川:本当はどうなのか知らないけれども、本当のことなんか僕にとっては特に意味はない。そういうことをしょっちゅうやってる。
■ たとえば、犬のふん。
日野:想像するっていっても、実際ヤニだらけのクーラーを見たとか、そういう実体験がないとなかなか出てこないですよね。
阿川:どっかにあるわけですよね。
日野:やっぱり、いろんな所に行ったりされてるんですか?
阿川:ふつうの人よりは行ってるかもしれませんが、世界何カ国をまわるとかいう必要はなくて。要は一所懸命、意志を持って観察するということだと思うんですよね。街を歩いて、ごみを見るとか。ごみを見ればいろんなことがわかるじゃない。街によって落ちてるごみが違う。犬のふんを見るとか。
日野:街によって違うんですか?
阿川:たとえば黄金町もみなとみらいも、どっちも犬が結構歩いてるんですけど、みなとみらいには犬のふんがないんです。こっちは犬のふんがあるわけ。大多数の人はちゃんと始末してるんですけど、この街には、犬がふんをしてもほったらかしで帰っていいんだって、そういうふうに思わせる街の空気がある。残念ながら。
日野:桜木町の駅を隔てて違いますもんね、空気が。
阿川:人間って、同じ人でもいる場所によって行動基準とかは変わって、銀座で立ち小便する人はいないじゃない、本当はいるけどね。でもまぁ、あんまりいない。
日野:ちょっとお上品にしていたい。銀座と新橋、みたいな感じなんですかね。
阿川:そうですね。それが街の風景。犬のふんがあるのとないっていうことで街らしさみたいなのが実際は決まってたりするのね。それはみんな意識してないんですよね。でも意識してないけど提示されるとわかる。そういうシーンを書くことによって、その街がどんな街なのか、書かないことまで含めて読者の人の頭の中に表現されるでしょ。そういう象徴的なものをとらえてそれを書くと。まあ、短歌とかだったらもっとすごいけど。
日野:細かいところを感じさせるものでないと、31文字に収まらなかったり。
阿川:人間に対しての観察は、さっきの部品作ってる人の話じゃないけど、電車に乗って、向かいの人がどんな家に住んでるとか、意外と家が散らかってて、狭い玄関に夏に履いてたミュールが相変わらずひっくり返っていてとかさ、そういうことをよく考える。で、考えて思いつかない時に、そこが自分で足らないってわかる。で、なんとなく頭のすみで覚えてるんですよね。ある時にそこを知る機会がめぐってくる。
日野:ああ。意識するのが大事。
阿川:空白が埋まる。基本的にどんな人を見ても、人に語って聞かせたら「そうそう」って思うような、その人が朝起きて、どんな部屋で起きて、電車乗ってここまで至るまでを詳細に、どんな人についてでも語れれば、どんな人のことも書ける。
日野:自分の実体験だと、すごく限られてるじゃないですか。そういうふうに訓練することで広がっていくんですね。
阿川:うん、そうですね。たとえばサラリーマンを主人公に書くにしても、登場人物全部がサラリーマンじゃないですよね。ふつうに書けばね。食堂のおばちゃんが出てきたり、アパートの大家さんが出てきたり、生活していく中にはいろんな職種、いろんな生き方をしている人が絶対いるでしょ。
4月某日、横浜・黄金町にて執筆活動をされている作家の阿川大樹さんに、黄金町×アートのことから、モノを書くための練習、等々等々、たーっぷりお話をうかがってきました★
そんなわけでkotonoha-mix、2週にわたってディープなトークをお届けしてまいります、ヒア・ウィー・ゴー!
■ 黄金町×阿川大樹。
阿川:横浜に住むようになったのが20年ぐらい前になるんですけど、探検をしてね、偶然この地域に来たんですけど、日ノ出町と黄金町の間の川に面しているところと、川から離れた路地1本分ぐらいの範囲の中にチョンの間が並んでて。お店によって違うんだけど、狭いところは間口が自転車1台分より狭いような扉1枚しかなくて、その中にピンク色とか変な色の蛍光灯が点っていて、女の人が立ってるんですね。そういうのがずらーっと。僕が最初に見た時でも20人か30人ぐらいの人が立っていて。
日野:それはそう遠くない昔の話ですか?
阿川:10数年前だったと思う。21世紀の日本じゃないみたいなね。
日野:外国人の方が多かったんですか?
阿川:そう思いますねぇ。なかなか目を合わせられないからチラ見をしつつ、でもちょっと見ようとするとすぐ「私を選んで!」っていう顔をするわけですよね。女を買いに来たわけじゃないから居心地悪いんだけど、ものすごく面白いところに来たっていうワクワク感があった。
■ 黄金町@過渡期。
阿川:すごく変な場所で、なんで今でもこんな街が残っているんだろうって。だからこの街がどう変わっていくかっていうことに俄然興味を持って、ときどき街のようすを見てたんですけど、なんとなくお店が減った時期があって、しばらく来なかったんですよね。その頃、知らない間に売春宿は追い払われていて、カラだけ残ってて。その空いたところを利用して、「黄金町プロジェクト」っていって一種の町おこし運動を始めた人たちがいて。街の探検ツアーとか、そういうことをやってたんですね。
日野:何年前ぐらいからそういう動きがあったんですか?
阿川:たぶん一掃された直後ですから、5年ぐらい前ですよね。変わった、いかがわしい場所なんですけど、へんな魅力があるわけだから。
日野:魅力ありますね。
阿川:そういうのを毛嫌いして触らない人と、自分が女を抱くとかそういうんじゃなくてもそういう場所に興味を持つ人と、たぶん人間には2種類あって、どっぷり足を踏み入れるかどうかは別にして、その空気みたいなものを見るのが好きな人たちって結構いるわけですね。
日野:少し変わった感性の人たちが集まってきたというか。
阿川:そうそう集まって。そういう一種の運動があったんですけれども、もともとの、街をきれいにしたいっていう人は、できるだけ早く売春宿の痕跡を消したい。だから売春宿の集まっていた街というのを一種の売りものにして面白がるっていうことに対して非常に抵抗があった。黄金町が売春の街になったのは戦後なんですね。ふつうの街だったのに、いわゆる戦後のどさくさというやつで変わっていってしまったんですね。自分の街がぐちゃぐちゃに壊されて、踏みにじられたような感じを持ってる。だから街に住んでる人たちから見ると、売春という歴史を看板に掲げて人の興味を引くっていうことが受け入れられないことだったんだと思います。ところがある時、「黄金町プロジェクト」は活動をやめます、と。彼らがやろうとしてたことは地域から受け入れられなかった、ということだけがわかった。その時点では、気持ちはその人たちに寄っていたので、「なんでなんだ?」っていうね。歴史自体を塗りこめて消すことはできないんじゃないかって思ったんですね。人間の持ってる闇の部分みたいなものを消し去ることに対して、生理的な嫌悪感みたいなものがありましたね。人間の根源的な部分の「性」というものって、人類がうまれてからずっとあるんですよね。で、そこにある人間模様、それぞれの人の生き方みたいなものっていうのを、まるっきりなかったことにするような否定の仕方っていうものに対して、ある種の生理的反発みたいなのがあったんですよね。そういうのも含めて、僕もちょっと排斥されたような感じがして。僕は、見てただけなんだけど(笑)。その後なんだかつまんない街になっちゃうように見えたんですね、僕にとっては。