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  • 2011.12.11 Sunday
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【文語短歌】自由自在・その4【古典和歌】

どうもこんにちは、さねともです。

連載第4回目!
うれしいですねー。

そして今日のごあいさつ。

さる6月20日(日)のこと、「爆笑レッドカーペット」というお笑い番組を見ていましたら、最近流行りの「なぞかけ」でこんなのをやってました。

「病院」と掛けまして「お年寄りの趣味」と解く。

その心は!

「タンカ(担架/短歌)」を使います。


これは切なかったなー。しみじみ切なかった(苦笑)。
どれくらい切なかったかと言えば、フジテレビに抗議の電話をしようと思ったくらいに(爆)。

短歌に対する世間のイメージってそんなもんかもしれませんな。

若い人が携わっていようとなかろうと短歌はお年寄りの趣味、たとえて言うなら盆栽などと同じようなものであるのでしょう。

でもちょっと書いておきたい。

前にもどこかで書いたことがあるのですが、たとえば盆栽のようなお年寄りっぽい趣味のこと。あれは別にお年寄りだけの趣味ってわけじゃないんです。年取ってから始めた人も多いかもしれませんが、大体の人は若い頃から趣味として盆栽やってる。そういう人たちがそのままお年寄りになっただけのことであって、キャリアが長い分中心的な存在になってしまうのです。

そして短歌もその通りで、本当は若い頃から続けてきた人たちがそのままお年寄りになっているだけで、お年寄りになってから短歌を始める人の方が実はずっと少ない。でもこれを力説したところで冒頭のなぞかけを覆すだけの説得力はないんだろうな、とも思う。


私も結社に入ってそれなりに経ちますが(かれこれ十年近くなりますが今も「若手」と呼ばれます)、入った当初はよくこんなことを言われました。

「さねとも君は若いのに、年寄りみたいな歌を作るね」

これはでも、仕方ないことでもあります。私は結社に入る以前からほとんど文語で作っていたのと、その我流での学習期間中に明治以降の文語短歌をお手本にしていたため、若さからほど遠い内容の歌になってしまっていたことが大きい(かと言って結社に入ってから文語を教えてもらったかと言うと…そんな感じはないのですがね)。

でも、です。

文語短歌での「若さ」っていったい何だろう?

今回からはちょっとこれを考えてみたいと思います。

まずさきほど登場した結社の人、「さねとも君は若いのに…」と言ってくださった方が続けて言ったのは「若いんだから、もっと色気のある歌作ればいいのに」でした。

色気ねぇ…。

困ったときの百人一首。

あひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
(『拾遺和歌集』・藤原敦忠)

この歌はいわゆる「ひと目合ったその日から恋の花咲く時もある」的な、プラトニックな恋心を詠んだものと思われがちですが、実は違います。問題は「あひ見る」。平安時代、女性の顔を見られるのは家族と女性が受け入れた男性だけ。「まぐはひ(まぐわい)」という性行為そのものを表す言葉を漢字で書くと「目交ひ」となりますから、この歌はその後の感慨を詠んだものです。そう思って読まないと、この歌の魅力は半減してしまいます。

んー、歌クテルwebマガジンの記事としてはこれはどうなんだろうと思いますが、続けます。

あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな
(『後拾遺和歌集』・和泉式部)


病気が重くなって心細くなった式部が恋人に贈った歌。「来世への思い出として、せめてもう一度だけ『逢い』たいものです」、この「逢ふ」もまた一夜を過ごすということ。昔の歌人は大胆でうらやましいですな。

では明治以後の歌人ではどうか。

ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死せはてよいま
(『海の声』・若山牧水)


牧水はよく「自然主義歌人」として分類されるのですが、そのはじめは「恋の歌人」でした。詳しくはネットでも調べられますがこの歌を詠んだ時の牧水は大恋愛をしていたようです。

牧水23歳。この歌を私なりに意訳してみます。

ああ、君とのくちづけ!
海はそのまま動きを止めよ。
太陽も沈むな。
鳥もまた、飛びながら死んでしまえ。
(このくちづけよ、永遠となれ!)


なんだか書いてるこっちが恥ずかしくなりますが(苦笑)、ここまで文語でやれたら「若い」と言えるはず。はずですが、いかがでしょう読者の皆様。ここまでやれても、文語は年寄りくさいでしょうか?

また次回以降、詳しく見てみましょう。



(このウェブサイトに掲載されている情報は、著作権法に基づき保護されています

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コメント

俺もあの放送はみてました。あの謎かけの答えに周りが共感してたのがちょっとショックでしたね。

ですが、これは短歌と言うものに触れている側の思いなのかもとも感じました。
勿論、受け取り方の感性は人それぞれですから断言は出来ませんし、俺も俺の中の短歌の世界観からの気持ちですから(^_^;)

最近でこそ短歌と言うものが各メディアで扱われたり、著名方々の出版物も若年層に受け入れ易くなったりと環境がへんかしてますが、やはり自分の意志で短歌・和歌、文語等に触れて楽しさを見出さないと、古い物・年寄りくさい物と、とらわれてしまうのではないでしょうか(;_;)

でも古いと言うのも単に年代的な事だとも思います、実際和泉式部や牧水他の歌人が詠んだのは、情報が氾濫して、科学が進歩してきた今現在ではなく、その各歌人の方々が生きた時代や環境の中で生まれた歌なんですから、今を生きてる人にはやはり古い物と位置付けされてしまうのかも…

よく、さねともさんが和歌や文語の歌を今風に解釈して綴った物がメディアや出版物として広まって行けば、年寄りの趣味的なイメージも変わっていくような気がします(^O^)

さらに言えば各学年の授業で和歌・短歌がもっと深いもの、楽しい物として取り扱われたら、またイメージの捉え方も変化すると思うのですが……

長々と失礼しました( ̄∀ ̄;)

これからも拝読していきま〜す。
  • 夜考宙ん
  • 2010/07/17 12:28 AM
>夜考宙んさん

いつもありがとうございます。
最近このブログにもエロスパムコメントが書き込まれるようになっていまいまして、一時的にコメント承認制に移行しています。ご迷惑をおかけしています。

さてさて…
「古臭さ」=「年寄りっぽさ」みたいなのって、確かにありますよね。

それはそれでとても残念なことですが、それだけ現代人の趣味が多様化するとともに、以前には「それしかなかった」状態のものが単に「選択肢のひとつ」になっただけ、とも思うのです。

そういう中でいろんなものが淘汰されてしまうのでしょう。スキーやバイクみたいな昔は猫も杓子もといった風情のものまで、今では古臭い方に入れられちゃってる感じがありますしね(あくまで個人的な感じ方です)。

いったん古臭くなってしまった印象を覆すのは難しいのですが…そこを「分かんない人は分かんないままでいい!」と諦めずに何とか食い下がってみたいと思っています。

いやしかし…難敵だわ(苦笑)。
  • さねとも
  • 2010/07/18 2:38 AM
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