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  • 2011.12.11 Sunday
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【文語短歌】自由自在・その7【古典和歌】

どうもこんにちは、さねともです。

私はこの歌クテルwebマガジンでは、古典和歌と文語短歌をメインにエッセイのようなものを書いています。以前にも書きましたがこのjugemさんのブログには検索キーワードという機能がついていまして、このブログを見に来て下さった方々が、検索サイトでどんな言葉を検索したのかが分かるようになっています。

そのワードはたとえば…「歌クテル」であったり「日野やや子」であったりしますが、最近は「文語短歌」「文語」というワードも多くなっていまして、文語短歌というものに興味を持ってくださる方がいらっしゃっているのが、とてもうれしい。文語や文語短歌の、いったい何を調べようとして来てくださったのかを想像するのも楽しい。

みなさんが求めていることはいったい何でしょうか? 私が答えられる範囲で答えてゆきたいと思いますよ。

そういうわけで今回はいったん基本に立ち返りまして文語の学習方法について書いてみようと思っています。

現代において、文語が使われる場面というのは非常に限られています。極端なことを書いてしまえば、俳句と短歌しかないのではないでしょうか。その一つの短歌においては今や口語短歌が主流になったと言ってもいいくらい。そういう風潮の中で文語で短歌を詠もうという方、私は大好きであります。

ただ、文語というのは学習方法がいかにもめんどうくさい。それに文法にうるさい人にかかると、文法が間違っているというだけで短歌の内容にさえタッチしてくれないといったような目にも遭います。そんな辛い思いまでして文語を学習するくらいなら、はっきり言って口語で詠んだ方がいいです。少なくとも短歌じたいは読んでもらえる。自分の短歌の詩の部分に触れてもらえる。

それでも、文語で詠みたいですか?
詠みたい方は…


先ほども書いたように、現代では文語は俳句や短歌くらいでしか使われません。そうなると学習するためには文語の作品を集めるしかない。しかし私は一つ言わせていただきます。

文語を学習するために、短歌から学ぶのはやめた方がいいです。

短歌で使われる文語というのは実は「短歌専用文語」といったようなもので、ある程度の決まったパターンさえ覚えてしまえば簡単に作れてしまいます。

たとえば。

春の日の夕べさすがに風ありて芝生にゆらぐ鞦韆のかげ(佐々木信綱)

空間に夢をとどめてほのぼのと若葉にこもるむらさきの藤(窪田空穂)

夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘(与謝野晶子)

かなたなる氷雲の空の奥ぐらき悲願に似たる寒虹の照り(前川佐美雄)


上記四首の下の句に注目していただきたい。

「芝生にゆらぐ鞦韆のかげ」
「若葉にこもるむらさきの藤」
「にこ毛にひびく北嵯峨の鐘」
「悲願に似たる寒虹の照り」

これらすべて、「×××に○○○、××××の××」(×=名詞・○=動詞)という構造になっていて、極端な話この×や○に単語を当てはめれば立派に下の句が作れます。これは完全なパターンであって、その意味では短歌を「定型詩」と呼ぶのは実に正しい。試しにこれで練習したっていいくらいです。

文語を短歌で学習するというのはこういうパターンをさまざまな作品から自分なりに抽出してゆく作業であって、その構造のいくつかを覚えてしまえば誰だって歌が作れてしまうのです。

「えーっ?」と思った方、あなたは正しい(笑)。

そういう文語歌を作る人、本当に多いのですよ。でもそれじゃつまんないと思うでしょ? 自分の言葉で、自分の感情で、オリジナルの歌を作りたいでしょ?

だから、文語を短歌で学ぶのはやめた方がいいと私は思うのです。

じゃあ、何で学んだらいいのか。

答えの一つとして、文語の文章をたくさん読むというのはいかがでしょうか。

文語の小説や紀行文、さらに詩や評論などなど…定型におさまらない文語の文章を読む。私はそれをお勧めしておきます。しかしそう言ったものはなかなか手に入らなかったりしますね。何回も書きますが現代において文語が使われる場面は俳句や短歌だけ。なのに文章が手に入るものか。

手に入りやすいもの、実はけっこうあるのです。

今回は「文語訳聖書」を紹介します。

塚本邦雄の言葉として、こんなのがありました。

聖書見ざる歌詠みは遺恨のことなり

いかにも言いそう(苦笑)。

聖書というのは日本の近代文学に多大な影響を与えていまして、芥川龍之介の最後の作品は「続西方の人」でしたし、有島武郎も「カインの末裔」を書いてましたね。彼らが読んでいたのが文語訳聖書で、近代の文化人たちのほとんどがこれを持っていたんじゃないかというくらい流通していたそうな。

そして、文語訳聖書は現在でも熱烈なファンが多いらしくamazonでも買えたりするのです。レビューが面白いので、ぜひ見に行ってください。

聖書を読むと言っても、何もキリスト教を学ぶわけではありません。文語を学ぶためです。これは私の持論ですが、文語で短歌を詠むというのは、文語で文章が書けるようにならなければ意味がないと思うのですね。その第一歩としては、文語の文章にとにかく親しむことが重要です。

一節、引いてみましょうか。

太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。
(ヨハネ伝福音書)


うん、いいですね。
こんなのが500ページくらい続くんですから、私はウズウズしますよ(苦笑)。

ただし、とにかく読むのはいいのですが、文語を学習するためにひとつだけ、やってほしいことがあります。それは、声に出して読むこと。

もともと文語というのは文章語なのですが、短歌は歌である以上声に出して読むことが望ましい。声に出して読むべき短歌に本来音読しないはずの文語が使われる時点で、それは特別なのです。その特別なことを学ぶという意識を、どうか持っていただきたい。そのために、声に出して読んで欲しいと思います。

わざわざ手に入れなくても、検索すれば文語訳聖書が見られるサイトもありますよ。とにかく最初から読まなくてもいいです。好きなページを、ぱらっとめくって読む。文語音読の気持ちよさをぜひ味わってください。

それでは今回はここまで。
更新が遅くなってしまい、すみません。。。



(このウェブサイトに掲載されている情報は、著作権法に基づき保護されています

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コメント
【自己レス&追記】

本記事で紹介した『文語訳聖書』ですが、いまAmazonを見に行ったら在庫切れになってました(汗)。私が記事書いてた時はまだあったんですが…。

私が紹介したことで在庫切れになったとしたらとても嬉しく思いますが、反面申し訳ないことをしてしまったなと。

大きな本屋さんに行けば必ず聖書コーナーがありますのでそちらを見てください。近所に大きな本屋さんがないという場合は「日本聖書協会」でググってみてください。

もっとたくさんの中から選びたいというマニアックな方は、神田のニコライ堂に行くとすごいラインナップになってるようです。

ご参考までに。
  • さねとも
  • 2010/10/20 2:43 PM
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