太陽にも月にも地球にもなって歩きつづけて お元気ですか
東日本大震災から、ちょうど1ヶ月になります。
ぼちぼち1ヶ月というところで、7日に大きな余震もありました。
東北をはじめ、被災地にいらっしゃる方には、もう、なんて声をかけたらいいのかわかりません。
前回のkotonoha-mixが中途半端に終わってしまっていたのですが、続きをまとめることができませんでした。
楽しみにしてくださっていた皆さま、協力してくださったA.Iちゃんと里見さん、申し訳ありません。
また、なんらかの形で記事にできればと思っています。
震災のあったとき、都内の駅ナカのカフェで仕事をしていました。
震度は5弱だったのかな、でもこんな揺れは30年以上生きててはじめてでした。しばらくすると電車が止まって、店は閉めることになったのに帰ることができなくなって、結局、割れたグラスや落ちそうなボトルの類を片づけて、その日は同僚4人と店に泊まって、翌日、家に帰りました。
自宅で震災当日止まっていた電気もガスも、帰る頃には復旧していました。
わたしの被害はそんな小さなものでした。
そんな小さな被害だったのに、それからたまたま休みが続いて、テレビを見続けて暮らしていたら、被災地の方にたいへん申し訳ないのですが、気分がふさぎがちになって、創作はおろか、なにもできなくなってしまいました。
被災地で不便な思いをしている身近なひとや、こんなときにも気丈に前を向いているひとに、本当に申し訳なくて、情けないと思った。
わたしがふさぎこんでも、なんのたしにもならないのに。
でも、そういう人も結構いて、それも被災の一種らしい。
専門家の方からそう聞いて、やっと、ハードルを下げて日々をこなすことができはじめました。
それで、もしもわたしみたいに思っている人がいたら、と思って書いています。
最近、ある原稿にも書いたんですが、ちょうど震災の前に、作家の山田あかねさんの『女の武士道』(PHP文庫)というエッセイを読んでいて、そこに、「もともと、日本人には、詩歌を詠むことで、気持ちの爆発をおさえる習慣があったらしい」と書いてあったんです。
さらに引用すると、
「十世紀の著名な歌人である紀貫之さんも「日本でも中国でも、ひとは悲しみにつきうごかされたとき、そのつらさを詩歌に綴る」と書いている。」
「こういう術を昔のひとたちは知っていたのよね。日頃から詩や歌を詠んだり、鑑賞することで、心のバランスをとる訓練をしていたというわけ。」
と、あります。
切腹の前とか、大切なひとをなくしたときとかに、昔の人は詩歌を詠んでいたんですよね。
切腹はさすがにないかもしれないけど、それは、現在短歌を詠んでいるわたしたちも同じじゃないかと思うんです。
そこに自浄作用があることを、本能や経験で知っているのだと思う。
もっともそれは詩歌に限らず、「言葉をつむぐこと」全般に言えることだと思うんですけど。
外国語のことはよくわからないのだけど、日本語は、繊細な表現ができる言語といえると思うんです。
そんな日本語をなにげなく母国語にしているわたしたちは、生まれながらにしてゲタを履いているのかもしれないな、と少し思います。
「がんばれ」とか、
「がんばろう」とか、
もしもそういう言葉が心になかったら言わなくていいから、
「わたしは今、こういう思い」とか、そういうことを見つめて、誰に言うでもなく言葉にすることって、「がんばれ」ない人には大事なんじゃないかしら。
がらにもなく殊勝なことをいうけど、「がんばれ」「がんばろう」に100%のっかれない自分を責めて、一周して、わたしがたどり着いた思いです。
それが「つらい」とか「しんどい」とかだとしても、自分の言葉を自分のなかに持っていたら、それが足場や道になると信じたい。
抽象的に見えるかもしれないけど、あながち間違いでもないんじゃないかとわたしは思ってます。
うわべだけの歌が歌えないわたしは、だから、わたしにできることとして、ぽろりと出てきた歌を歌います。
消毒のための錠剤ねじこんで(わたしができるいくつかのこと)
炎症がとうに治っていることを識ったうえでの塗りぐすりかな
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多分…非被災者の人達の中には日野さんと同じ心痛を患った方達がかなりいたはずです。
そう言う俺自身、見えない痛みと無力感に凹みました。
それは阪神淡路やそれ以前の震災の時も味わった苦みです、そしてその後いつも思います…残されたのなら「自分の出来ることを出来る範囲やろう」と、言い訳になるかもしれませんが、無理な思いや行動では何もならないから( ̄- ̄)
今、31文字の思い歌を詠める事を幸せの1つとして…
痛み知り
痛みを分かち
心泣き
そして明日の
笑顔願いて…