どうもみなさんこんにちは。
さねともでございます。
実は、私はいま親鸞(しんらん)という鎌倉時代の坊さんにハマっております。
こういうことを書くと何やら宗教じみた話と思われるかもしれませんが、そういうこっちゃありません。だいいち、さねとも家は真言宗だし、今さら改宗するつもりもありません。また真宗系の新興宗教に入信するのもまっぴらごめんです。
そうではなく、親鸞という人物と劇的な出会いをしたということです。
…
今回は私の震災体験から。
あの地震のあった2011年3月11日(金)、私は普通に仕事をしていました。日中の職場の混乱ぶりについては何も申しますまい。とにかく当たり前に残業をして、家に着いたのはもう翌日の日付になっていました。
家に着いて部屋の電灯をつけたら、そりゃ大変なことになってました。冷蔵庫は20cmくらい動いてるし、積み上げてあった本は大雪崩。被災地の方々のご不便とは比べ物にならないものですが、それでも辛かった。めちゃめちゃになった部屋を見回して、情けないやら悲しいやらで自然に涙が出てきました。人間、こういうときは泣きたくなるのでしょうか。
ともかく本の雪崩だけは何とかしようとその山に手をつけたとき、埋もれず一番上に飛び出している一冊がありました。
『
歎異抄(たんにしょう)』という本でした。
『歎異抄』は親鸞の弟子である唯円が師の言葉を引用しながら教団内の異説をたしなめる内容の文書で、親鸞関係の文書の中でも特に重要なものの一つとされています。
私がいつこれを買っていたのか記憶がなく、貼ってあった古本屋の値札には200円と書かれていました。おそらく文語や古典の本を片っ端から集めている最中に何かのついでに買ったのを、読まずに積んでおいたのでしょう。その『歎異抄』が「俺を読め」とばかりに飛び出していたわけです。
ちょうどその時は読んでいる本もありませんでしたし、上述の通り不安な気持ちを引きずっていましたから、何か救いのようなものが得られればと思い手にとってめくってみました。
そこで出会った言葉に私は打ちのめされます。
をのをの十余ヶ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たち、おほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。
(『歎異抄』第二章)
若いころの親鸞は関東で布教をしていました。その布教活動のうちに当然弟子となった人々もあり、関東における親鸞教団が形成されてゆきます。ところが親鸞は六十歳を過ぎてから生まれ故郷の京都にゆき執筆活動をする決心をします。親鸞の考えというのは当時としてはあまりに進歩しすぎた哲学的なものであったために誤解を生みやすく、関東に残された教団内に異説が次々に起こってしまいます。そして弟子たちの中から親鸞本人に真意を聞きに行こうとする者たちが現れ、関東から京都へ会いに行った時に親鸞が言ったとされるのが引用の文章です。意訳するならこんな感じ。
お前様方が関東から京都まで十数ヶ国を越えて、身の危険もかえりみずわざわざ私を訪ねてきたその御志は、ただただ極楽往生のための法道を聞こうと思ってのことである。けれども「(親鸞なら)念仏の他に救いの道を知っていて、そのための経文も知っているだろう」と、思ってくれているのは、大変な間違いである。もしそういうことであれば、奈良の興福寺や、比叡山の延暦寺にも立派な修行僧がいらっしゃるので、そういう方々にお会いして救いの要件をよくよく聞くのがよい。
これを読んだ時の私の気持ちを、どう言えばよいでしょう。ちょうど命の危険もかえりみず親鸞を訪ねていった弟子たちと同じ気持ち。というより、救いを求めて手にしたのに横っ面ひっぱたかれた気持ちになりました。
まぁ、「俺を読め」とばかりに出てきた本のくせして横っ面ひっぱたくのもどうかとは思いますが(苦笑)…これが私と親鸞との、運命的な出会いでした。
それからの私は親鸞関係の本をやたら買いあさるようになりましたが、その過程で今年(2011年)が親鸞の750回忌であることを知りました。要するに今年は、他の年よりも親鸞関係の本が手に入りやすい年だったわけです。さらには親鸞の著作に『
教行信証』という難しい本があるのですが、これが書きあげられたグレゴリオ暦4月15日は、浄土真宗の「立教の日」とされているそうです。それは私の誕生日だったりします。
なんというか…単に偶然が重なっただけのことなのですけれども、私はこういう見た目のめぐりあわせに実に弱い。しばらくは私の親鸞ブームは終わりそうにない気がします。
さてさて長い前置きはさておき、今回はその『歎異抄』をテキストとして取り上げたいと思います。『歎異抄』はとても短い文書で、ネットで検索すれば詳細な現代語訳がすぐに見つかります。それだけ親しみやすい古典であり文章としてもすぐれているのです。
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願ををこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。
(『歎異抄』第三章)
これは有名な「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」から始まる第三章の後半部分です。さすがに抹香くさいですが(苦笑)、ここには大事な文語発想があります。それは「悪人成仏のためなれば」の「なれば」。
「已然形+ば」という表現は古典などでは頻出します。明治の文語短歌でもわりと出てきます。
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
(正岡子規)
これを国語の授業で「藤の花が短かったら、畳の上に届かない」と答えちゃった友人がいて先生から注意されてましたなあ…。
調べればすぐわかると思いますが、「已然形+ば」というのは、たいていの場合は「…ので」となります。上記子規の歌の場合、第三句「みじかければ」がそれにあたりますが、これは「短いので」ということになります。要するに「
花瓶に挿した藤の花房が短いので、畳の上には届かないんだなぁ」。届かないことを面白がって見ているのか、届かないことを惜しがって見ているのか、そこは読者に委ねられています。どっちだと思いますか?
それはさておき、『歎異抄』の第三章です。再掲。
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願ををこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。
(『歎異抄』第三章)
この文章は動詞がいくつかあるのですが、その主語は一つではありません。
「
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるることあるべからざる」までは、「煩悩具足のわれら」が主語。言うなれば「
煩悩を持っている私たちは、どんな行いをするにも生死の迷いをはなれることがない」。
次に「
あはれみたまひて、願ををこしたまふ」の主語は、何でしょう。ここに尊敬語「たまふ」があることから、これは私たちを超えた身分の存在であることがわかります。答えは、阿弥陀如来。いまは文章構造を見るのが目的であって浄土真宗の教義を詳述するつもりはありませんので詳しくは省きますが、全部まるごと意訳するとこんな感じです。
いついかなる時でも迷いを捨てられない、煩悩を持っている私たちを憐れみ、お救いなさろうと阿弥陀如来が誓いを立てた本意は、悪人成仏のためなので、他力本願に頼る悪人こそがもっとも救われるのである。
いま書いてて思いましたが…なるほど、これは誤解を生むかもしれない(苦笑)。その真意を汲み取ろうとするとき、特に古典の文章はそのままニュアンスごと読み取るのがよいのであって、下手に現代語訳してしまうと誤解が生じやすくなるだけかもしれませんな。
古典や文語の文章は、できれば現代語訳せずそのまま味わう方がいい。そのためには原文にできるだけ親しんで、もちろん音読もして、体にしみこませるしかない。でもその手間はやっぱりもったいない気がします。そこまで手間をかけて、文語で歌を詠むことって、いったいなんだろう?
…
今回は以上ですが、おしまいに地震以後に私が集めた親鸞関係の本を列記しときます。
■角川oneテーマ21『親鸞』津本陽
歴史小説家による、親鸞の評伝。今年出たばかりなのに震災の後に書き足した部分があってびっくりした本。親鸞の基本を知るにはいいと思います。
■NHKライブラリー『親鸞和讃』坂東性純
親鸞が晩年に書き続けた和讃を懇切丁寧に解説している本。親鸞の考えを知るには一番オススメ。さらに七五調の和讃は心地よいです。
■ちくま学芸文庫『親鸞からの手紙』阿満利麿
現存する親鸞の書簡すべてに現代語訳を付した本。出来れば原文をメインで読んでほしい。
■岩波新書『蓮如』五木寛之
これは親鸞ではないのですが本願寺八世・蓮如のことを作家が書いた本。読みやすさ満点。
■岩波文庫『蓮如文集』笠原一男
上記の蓮如が生涯にわたって書き続けた「御文(おふみ)」と呼ばれる手紙形式の教義集。どんな人でも理解できることを目指して書かれているので文語の学習にはぴったり。語句解釈はありますが詳細な現代語訳は無し。
■ちくま学芸文庫『最後の親鸞』吉本隆明
現代の思想家による親鸞の解体。日本語の文章が一番難しかった昭和時代の、最後の方のひとしずく。上記を一通り読んだら最後の最後に読んでほしい。読み応えあり。
…
なんだか今回は、やたら長い上に私が危ない方向に進んでるんじゃないかと思わせるような内容になってしまいましたが…次回もよろしくお願いします。
実は今俺自身紆余曲折を経て「福祉介護」の世界へ足を踏み入れているのですが…ここで思いもよらず「言葉が人に与える影響と大きさ」を改めて思い知らされています、まだその気持ちを「どうこう」と整理するにも至っていませんが、今まで自分が「短歌」として、言葉や文字を綴ってきた物を良しとするのではなく、見えなかったもの・見なかったものへと見聞を広める大切さを改めて知る今日この頃です…(今更、と笑うもう1人の自分もいるのですが)…( ̄▽ ̄;)
今後も、さねともさんの「文語の楽しさ講義(…勝手解釈スミマセン)」、聴講させて頂きます(^_^)
追伸…正岡子規の歌ですが、俺は「フフンッ藤の花よ、どうだ畳に着きたくても着けまい、へへ〜んだ」…と子供みたいな感情で面白がっているのかなっと(笑)