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  • 2011.12.11 Sunday
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Kotonoha-mix(10) homage to 有村竜太朗、そして日野クロニクル


ヘリウムガス吸っておかしな声のまま受話器のなかであなた唄った(『五十音式』より)


はい、どうもです、日野です!!
まだまだ世の中、震災の余波でごたごたしていますが、いかがお過ごしですか?
ただただ、みなさんがすこやかであることを願っております。

Kotonoha-mixではこれまで、さまざまなクリエイターさんたちとの対談をお届けしてまいりました。
が、諸々の事情で今年、お話がうかがえておらず…さてどうしようと考えまして、ここは満を持して日野のフェイバリットアーティスト・有村竜太朗さんについて語ることにいたしました。
日野の身近な人はご存知かと思いますが、有村氏はPlastic Treeというロックバンドのヴォーカル・ギター担当でして、ファッション誌「KERA」の「パノラマ白書」というページに毎月短歌を連載されています。
というわけで、さすがに取材の申し込みはためらわれ、一方的に書かせていただくわけですが…してみたいよなー、取材。


■夜遊びは少女幽霊のはじまり。

時をさかのぼること17年、少女日野とPlastic Treeとの衝突は1994年の夏でした。これわりと、妙な自意識で公言するのがはばかられていたんですが(笑)、Plastic Treeのインディー時代と日野の高校時代の3年間が、がっつりとかぶっていたのです。それはもう奇跡のように。
みなさんも、思い出してみてください。少年少女時代、とりわけ中学・高校時代の体験って、悔しくなるぐらいキラキラしてますでしょ?
わたし、当時ですらそれがおそろしくて、冬の風呂場で頭から水をかぶったりしていました。どうやら、なにかを中和したかったらしい。
それはさておいて、少女日野がPlastic Treeをたまたま目にしてしまったのは、千葉は市川の(今はなき)CLUB GIOの通常ブッキングの夜。ヴィジュアル系ながらニューウェイブやパンクの流れを汲んだロックンロールという個性的な音楽性もさることながら、黒いドレスで跳びはねたりクルクル廻ったりパンキッシュにシャウトする有村さんに、ハートをわしづかみされたものです。
その3ヶ月後にわたしの地元・横浜でライブがある時に、はじめて手売りのチケットを買い、それから日野の「プラ通い」がはじまったわけです。

もともと文芸や音楽にはマセガキだったわたしも、村上龍や安部公房などを読んだり、「時計仕掛けのオレンジ」や「ベティ・ブルー」を観たり、The CureやRadioheadを聴いたのは、有村さんの影響でした。16歳の夏に聴いたMy Bloody Valentineはずっと残響しているし、宮沢賢治作品やエヴァンゲリオンにたどりついたのも彼(ら)のおかげ。
わたしと創作との蜜月もこの頃で、なんて幸せな少女時代だったんだろう。

■ひとむかしまえの事情。


窓の外 堕ちてったのは アレ男女? ちがうよ、誰か投げちゃったピアノ(『五十音式』より)


Plastic Treeというバンドは、というより有村さんは、どうも儚げでした。30歳まで生きれないんじゃないかと子供心に思っていました。Plastic Treeは97年6月にメジャーデビューを果たすのですが、同期デビューのSHAZNAやPIERROT、La’cryma Christiなどと比べ、どうも地味でした。髪の毛の色はなかなか派手だったけど。
UKギターロックに影響を受けたバンドとして、イギリス進出してほしいなあとは思うものの、当時の日本のシーンにあっては、「いや、ねーな、やっぱ」みたいな空気がただよっていて、現実ってきびしーな、と思いながら日野は、90年代と20世紀を見送ったのでした。


いつか、カラッポの僕の中から/嫌いな自分までいなくなったら/僕には何が残っているんだろ?/両手をただ眺めてた(「空白の日」より(2000年))


■続く彼らと続かないわたし。

さて、日野は99年〜02年のライブをほぼ見ず「プラ離れ」して暮らしている最中、短歌をはじめます。
03年に思うところあって(はたまた勢いでか)ライブに復帰し、ざっくり言うと今に至るわけですが(まあ、いろいろあったけどね)、彼らは一度も歩みを止めていないのです。
それはもう奇跡みたいなものだけど、17年も。
ライブツアーから帰ったら事務所が消えていたり、メンバーが突如脱退したり、インディーズに戻ったり、有村さんは喉のポリープの手術を受けたりしながら、マンネリに甘んじることもなく、いつも自分たちらしくも新しく、「活動休止」なんて一度も言わずにコンスタントに活動を続けているのです。
当然ながら、30歳まで生きられないだろうという予感は裏切られ、気づいたらアジア・ヨーロッパ進出、ロンドン公演までやってのけていました、彼ら。しかも盛況(海外では、日本のアニメのみならずV系バンドもたいへんもてはやされているのです)。
いわゆるサクセスストーリーです。
どうしてこんなにサクセスなのか。できることならあやかりたい。
で、日野なりにいろいろ考えてみた。

第一に、ありきたりだけど、お客さんへの感謝かしらん。口ではみんな感謝するかもしれないけど、心からの感謝はなかなかできない。嘘がきらいなうえに驕りがないから、あれは心からだ、と思う(たぶん)。
それから、ことあるごとに口にする、バンドへの愛。「バンドがやりたい」「ライブがやりたい」という原点を見失わないばかりか、Plastic Treeを愛するあまり、バンドの中心人物であるにもかかわらず有村さんは、そこに自分がいなくてもこのバンドが好き、という発言までするようになって、わたし、かなわないと思いました。
日野ときたらこの17年間、文を書きたくなったり書きたくなくなったり、というのは仕事でないからまだしも、いくつの職場をあとにしてきたか。いくつのプロジェクトをポシャってきたか。ああ、ちょっと穴に入りたい。

ちょっと穴に入りたくなったところで、次回に続く!(逃)


理想 天使 迷走 不時着 終バス 自転車 シーソー ブランコ/二人乗りで揺らした心は/ね、片っぽぬけちゃったら駄目だな/戻ろっかな帰ろっかな/でも百パー迷子なんで/それ無理でしょ?(「エとセとラ」より(2009年))


注:『五十音式』(有村竜太朗/著)は、2007年にインデックス・コミュニケーションズから出版された単行本。KERAでの5年間の連載をまとめたもの。
その他は、Plastic Treeの楽曲の有村竜太朗作詞の作品から引用させていただきました。




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