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【文語短歌】自由自在・その12【古典和歌】

どうもおひさしぶりです、さねともです。

震災以後、このブログも途切れ途切れになってしまいました。
あれから生活じたいが変わってしまったということはないのですが、密度は濃くなった気がします。特に残業と休日出勤が。

このブログは以前にも更新が途絶えてしまったことがあります。それをまた繰り返してしまったこと、読んでくださっている皆様にはとても申し訳なく思っております。

これから少しずつ、前の状態に戻してゆこうと思います。

以前のように毎週日曜日更新は難しくなってしまいましたが、一ヶ月ごと(5週間に一度)のペースで記事を載せてゆくことにします。

変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

さて、私の記事ですが今回は藤原俊成という人物を取り上げてみようと思います。

藤原俊成(ふぢはらのとしなり)、永久二年(1114年)〜元久元年(1204年)平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人。七代集『千載和歌集』の選者。定家の父。

俊成という人は、百人一首に歌が採り上げられています。

世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(千載・雑中)


この歌、ジジ臭いというか、なんだか人生に疲れた人の述懐として受け取られがちですが、この歌を詠んだとき俊成は27歳でした。

90歳まで生きた俊成は、「生まれた時からジジイ」みたいなイメージが強くて、この歌もそんな感じに見えてしまうのでしょう。

どっこい、これは実は恋の歌でもあります。


まず「世の中よ」の「世」。古語辞典で調べてみると、この言葉には世間とか世の中という意味とは別に「男女の仲」という意味もあるのです。世の中に疲れるというのは、いわゆる出世だとか人間関係に疲れたりすることももちろんですが、恋愛に疲れるというのもあります。そんな状態の人物が隠棲しようとすると、隠棲先の山の奥でも鹿が鳴いてかなしい。

では鹿が鳴くとはどういうことか。

万葉以来の歌の重要な景物である鹿は、たいてい鳴いてます。

秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上

すでにこの歌で答え出ちゃってますが、鳴くのはオスがメスを呼ぶからで、「鳴く」は「泣く」に通じますから、その鳴き声は王朝歌人にとって哀切極まりないものだったわけです。要するに俊成の歌は、隠棲先の山奥で鹿の鳴き声を聞き、どこまで行っても恋愛から逃れられないことを悩みつつ楽しんでいる側面もあるのです。

もう一首、俊成の歌。

夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里(千載・秋上)


今度は鶉(うずら)が鳴いてます。

この歌は俊成自讃歌で、自信満々で自ら編集した千載集に載せたものと思われます。たださっきの鹿と同じく現代人にはすっと入ってこないでしょうね。これはこういうことです。

『伊勢物語』第百二十三段

むかし、男ありけり。深草に住みける女を、やうやうあきがたにや思ひけむ、かかる歌をよみけり。

年を経てすみこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ

女、かへし、

野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君はこざらむ

とよめりけるにめでて、ゆかむと思ふ心なくなりにけり


男は長年連れ添った恋人に飽きはじめたのか、「何年も住んだこの里を出ていったら、ここは草深い荒れ野になってしまうだろう」という歌を詠んだ。女は「ここが荒れ野になったら私は鶉となって鳴いているでしょう。狩り(仮り)にさえ、あなたは来てくれないのでしょうか?」と返した。男はそれがいじらしく、出てゆこうという気がなくなった。

これが前提にあって、深草の里で鶉の鳴き声に接したとき「けっきょくあの男は出てっちゃったから、女が鶉になって鳴いているんだな…」と感慨にふけっている、というのが俊成の歌です。「秋」には「飽き」が掛けられていますから、秋風は身にしみるのであります。

俊成は、そういう歌を詠む歌人です。

現代では、息子の定家のほうが通りがよいです。特に百人一首を選んだというのが大きい。そのせいか、さきほどの紹介文にもある通り「定家の父」という扱われ方をされてしまいますが、私は定家こそ「俊成の息子」であり、定家の評価の半分以上は俊成あってのものだと思っています。

そりゃそうです。俊成がいなかったら定家は生まれてないし、俊成が作った和歌の価値観『幽玄』の延長線上に定家の『有心』があるのですから。

現代短歌を経験した目からは、俊成の「前提があってこそ味わえる歌」というのは敬遠されがちかもしれません。三十一音それだけで完結させる技術はもちろん現代短歌に必須の要素ではありますが、それでも和歌の価値観はまったく無駄なものではないと私は思います。ではたとえば俊成の作った価値観のどういうところが素晴らしいのか。

勘のよい方はもうお気づきかもしれませんが、この後は次号につづきます(苦笑)。

繰り返しになりますが、今後ともご愛顧をよろしくお願いいたします。



(このウェブサイトに掲載されている情報は、著作権法に基づき保護されています

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コメント
お久しぶりです。

震災後、初の書き込みになります。

正直サイトの閲覧も久しぶりなのですが、やはり自分にとって「歌クテル」はとても大切な「時間」をもたらしてくれた「場所」なので形が変わろうとも、今後も更新を楽しみにしています(^_^)

今回の俊成の歌に触れて、直感で感じたのが「四畳半フォーク」と呼ばれた時代の恋愛ソングに似た感覚を覚えました。

あくまでも僕の思考内の感想なので、深い意味は挙げられませんが(^_^;)
僕には「ジジクサイ歌」には思えませんでした……(まぁ、僕自身が既にオヤジなんですがね(笑))

さねともさんや他の執筆者の皆さんも色々とあると思います、ですから時間に余裕の取れるペースでのWeb更新をゆっくり待ってます(^O^)

これからも楽しい時間を宜しくお願いしますm(_ _)m
  • 夜考宙ん
  • 2011/10/31 9:07 PM
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