相席に慣れているのか 通学の男子のあたま剃り跡青し
私はもともと転勤族の子で、現在は転勤族の妻として、
南部藩と伊達藩の境目あたりの町に暮らしています。
何年かしたら、またどこかに移動するだろうな、という、
旅暮らし。
あたらしい土地に縁ができると、
なるべく、その周辺を積極的に観光するようにしています。
盛岡よりも仙台のほうが都会だから、どうしても「都会にあそびにいこう」とすると仙台のほうに行ってしまうことが多いかな。
仙台はきれいな都市です。
青葉まぶしく、川うるわしく。都市計画がとにかく、きっちりとしていて、道もわかりやすいです。
博物館で、戦国時代の仙台市の地図をみたことがあるのですが、
現在の地図と重ね合わせてみても、その哲学がよくわかります。さすが政宗さま。
戦国時代以前は、湿地の多い人家まばらな寒村であったという話があります。
それをここまで発展させたという。内政の手腕の高さが伺えます。
仙台っ子は、みんな政宗さま大好きだよね。わたしもBASARA見たよ〜☆かっこいい。
余談ですが、仙台の五月人形の兜は、三日月の飾りがついているんですよ!!
藤原俊成(ふぢはらのとしなり)、永久二年(1114年)〜元久元年(1204年)平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人。七代集『千載和歌集』の選者。定家の父。
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(千載・雑中)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
短歌に興味をもち、学び始めた人のなかで、
まさかこれを知らないかたはいないでしょう。
歌集としては異例のミリオンセラーとなった、俵万智さんの『サラダ記念日』のタイトルのもととなった代表歌です。
あ、でも、
『サラダ記念日』の初版がでたのって、1987年。もう25年ちかく前のことになるんですね。
25年といったら、四半世紀。
若いひとにとっては、すでに「古典」なのかもしれません。
今回は、この歌を例にとって、
短歌の「読み方」のサジェスチョンをしていこうと思います。
俵万智さんの歌は全体的に「わかりやすく」「親しみやすい」と思われていますが、それだけではここまでのヒット作はうまれていないと思うんですね。
短歌は、韻文(詩)です。
散文(文章)は「意味がわかりやすい」ということがいちばん大切なポイントになるのですが、韻文(詩)は、ときに「書いていないこと」を読まなくてはいけません。
「書いていないこと」を読むなんてエスパー?いえいえ。
カンとか、予備知識とか、そういうものもときには必要になりますが、たいていは訓練で読むことができるようになるんです!!
で、そういう「初心者」の自分が、次にとる行動といえば。
まず、本屋で本をさがすじゃないですか。「短歌のコーナーあるかなぁ」って。
はじめまして、くしだです。
今回はいつもと趣向をかえまして『Book-Offで歌集を買う』をテーマに書きすすめます。
最近、短歌に興味がわいてきたんだけど…、歌集を買いに近所の書店に行ってみたんだけど…、で、結局、歌集ってどこで買うの?というあなた、あなたは正しい。
歌集って一般社会のなかでは宣伝をみたことないし、コンビニにもないし、いつも行く書店にもそれらしい棚はない。実に不可解な本ですよね(笑)
それでも歌集は、日々出版されています。では、その歌集はどこに消えたのか?
答えは簡単。
(1)出版社に眠っている。
(2)著者のもとに眠っている。
(3)贈呈先のだれかのもとに眠っている。
これが、おおかたの歌集の所在です。
ですから、書店にでまわっている歌集はほとんどない、といっても過言ではありません。
インターネット環境があり、上記のようなことがわかれば、かんたんにあなたのお好みの歌集を入手することができます。よかったですね。
>ガ〜ン!情弱なおれは歌集買えないやん(泣)
いえいえ、情弱なあなたにピッタリなスポットがわが国にはちゃんと用意されております。それが、今回のテーマ、ブックオフです。
>ブックオフってラノベとコミックしか置いてないのかと思ったお。
それは、あなたがラノベとコミックのコーナーに張り付いているからでしょう(笑)たまには、奥まで行ってみましょう。
と、いう訳でわたしは去る5月21日、実際にブックオフへ出掛けてみました。
5月には、天皇陛下が、
岩手県の震災の避難所を慰問されるというニュースを見ました。
なんとなく、この歌を思い出しました。
百人一首に取り上げられている、藤原忠平の和歌です。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
小倉山の峰の紅葉よ。もしお前に人間の心があるなら、
もう一度天皇がいらっしゃるまで、散らずに待っていてくれないだろうか。
という意味です。みゆき、とは、「行幸」。天皇のお出かけのこと。
いまの季節なら、「みちのくの 野のさくら花 心あらば〜」と歌いかけるところでしょうか。
木を切り、山を開き、
堤防を築き、土にはコンクリートで蓋をした。
煌々と灯をともして暗闇を払い、
わたしたちは夜に勝ったと、そう思っていた。
現代社会に生きていると、とかく「科学で解明できないもの」を迷信扱いして忌避しがちですが、
こう天災が続くと、「人が自然をコントロールしようなど、なんとおこがましいことか」という、当たり前のことにぶちあたりますね。
もちろん、宗教も神話も完全なものではありません。所詮ひとが紡いだ物語ですから。
「安全神話」なんて、幻だったことに気付いたでしょう?
それでも人は、「畏れること」を忘れてはいけない。
それを証明するネットの記事を紹介します。
http://usio.feliseed.net/paetone/
http://blog.tatsuru.com/2011/04/07_1505.php
http://blog.tatsuru.com/2011/04/08_1108.php
かんたん文語はこの世に存在しない