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- 2011.12.11 Sunday
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風ありて窓鳴らしをり風の名をもつ歌びとをわれ知れりけり
風の夜のうすくらがりに過ぐすとき今日の一人は明日また独り
寝ねむとし床にて今宵も歌を詠み君のごとくに天井を見る
こなたなる眺めはそなたに届かねど歌はこぼれて高し蒼穹
いづくとも分かぬゆくへを思ひ描きともに飛ばなむ風の歌びと
前週に引き続き、作家・阿川大樹さんとの対談をお送りしてまいります♪
日野も参考にしたいことがいっぱいです、他力本願の連載になりつつあるけどヒア・ウィー・ゴー!
■ 物語をつくる練習。
日野:ここ(黄金町)へ来て1年と少しでいろいろ面白いことを見てこられたと思うんですけれども、それをもとにして小説を書かれたりするんですか?
阿川:そうでしょうね。いつそれが小説という形になるかはぜんぜんわかんないんですね。物語では、メインストリームのところで出来るだけとんでもない嘘をつくために、すっごく細かな部分のリアリティが必要なんで、いつもなんでも見てるんですけど。
日野:ふつうの人だったら見逃してしまいそうなことでも、たくさんアンテナに引っかかってきそうな感じがします。
阿川:そうですね、観察自体が好きだっていうこともあるんだけども、見る場所はぜんぜん違うかもしれないですね。
日野:たとえば何か書きたいと思った時に、わたしは風景を見に行ったりして、そういう時にはバンバン情報が入ってくるんですけど、普段ふつうに歩いててネタを拾おうとすると、アンテナの感度が鈍るというか(笑)。もともと意識されるほうだったんですか? いろいろなことを。
阿川:きっとそうなんだと思うんですけど、ただね、そういう訓練法があると聞いて訓練しているとかではないんですけど、しょっちゅう練習はしてるんです、物語の。なんでもいいんですけど、たとえば物を見たら、作った人のことを考える。(カップを持って)これ、取っ手があるじゃない。朝から晩までこの取っ手だけ作ってる人がいるんですよね、どっかに。その人のことをたとえば考えてる、これ見て。その人、どんな工場で、従業員何人ぐらいいて、社長は何歳ぐらいで、奥さんが会社の経理とかやっていて、社長やたらタバコ吸う人で、事務所のクーラーがヤニだらけになっていて、古いから音が大きいわりに夏でもあんまり涼しくない。で、カレンダーに書き込みがしてあって、ナントカ産業の納期とか書いてある。で、高島易断の暦が置いてあったりとか、そういうことを考えるんですよ。
日野:すごい細かい、ディテールが(笑)。
阿川:本当はどうなのか知らないけれども、本当のことなんか僕にとっては特に意味はない。そういうことをしょっちゅうやってる。
■ たとえば、犬のふん。
日野:想像するっていっても、実際ヤニだらけのクーラーを見たとか、そういう実体験がないとなかなか出てこないですよね。
阿川:どっかにあるわけですよね。
日野:やっぱり、いろんな所に行ったりされてるんですか?
阿川:ふつうの人よりは行ってるかもしれませんが、世界何カ国をまわるとかいう必要はなくて。要は一所懸命、意志を持って観察するということだと思うんですよね。街を歩いて、ごみを見るとか。ごみを見ればいろんなことがわかるじゃない。街によって落ちてるごみが違う。犬のふんを見るとか。
日野:街によって違うんですか?
阿川:たとえば黄金町もみなとみらいも、どっちも犬が結構歩いてるんですけど、みなとみらいには犬のふんがないんです。こっちは犬のふんがあるわけ。大多数の人はちゃんと始末してるんですけど、この街には、犬がふんをしてもほったらかしで帰っていいんだって、そういうふうに思わせる街の空気がある。残念ながら。
日野:桜木町の駅を隔てて違いますもんね、空気が。
阿川:人間って、同じ人でもいる場所によって行動基準とかは変わって、銀座で立ち小便する人はいないじゃない、本当はいるけどね。でもまぁ、あんまりいない。
日野:ちょっとお上品にしていたい。銀座と新橋、みたいな感じなんですかね。
阿川:そうですね。それが街の風景。犬のふんがあるのとないっていうことで街らしさみたいなのが実際は決まってたりするのね。それはみんな意識してないんですよね。でも意識してないけど提示されるとわかる。そういうシーンを書くことによって、その街がどんな街なのか、書かないことまで含めて読者の人の頭の中に表現されるでしょ。そういう象徴的なものをとらえてそれを書くと。まあ、短歌とかだったらもっとすごいけど。
日野:細かいところを感じさせるものでないと、31文字に収まらなかったり。
阿川:人間に対しての観察は、さっきの部品作ってる人の話じゃないけど、電車に乗って、向かいの人がどんな家に住んでるとか、意外と家が散らかってて、狭い玄関に夏に履いてたミュールが相変わらずひっくり返っていてとかさ、そういうことをよく考える。で、考えて思いつかない時に、そこが自分で足らないってわかる。で、なんとなく頭のすみで覚えてるんですよね。ある時にそこを知る機会がめぐってくる。
日野:ああ。意識するのが大事。
阿川:空白が埋まる。基本的にどんな人を見ても、人に語って聞かせたら「そうそう」って思うような、その人が朝起きて、どんな部屋で起きて、電車乗ってここまで至るまでを詳細に、どんな人についてでも語れれば、どんな人のことも書ける。
日野:自分の実体験だと、すごく限られてるじゃないですか。そういうふうに訓練することで広がっていくんですね。
阿川:うん、そうですね。たとえばサラリーマンを主人公に書くにしても、登場人物全部がサラリーマンじゃないですよね。ふつうに書けばね。食堂のおばちゃんが出てきたり、アパートの大家さんが出てきたり、生活していく中にはいろんな職種、いろんな生き方をしている人が絶対いるでしょ。
4月某日、横浜・黄金町にて執筆活動をされている作家の阿川大樹さんに、黄金町×アートのことから、モノを書くための練習、等々等々、たーっぷりお話をうかがってきました★
そんなわけでkotonoha-mix、2週にわたってディープなトークをお届けしてまいります、ヒア・ウィー・ゴー!
■ 黄金町×阿川大樹。
阿川:横浜に住むようになったのが20年ぐらい前になるんですけど、探検をしてね、偶然この地域に来たんですけど、日ノ出町と黄金町の間の川に面しているところと、川から離れた路地1本分ぐらいの範囲の中にチョンの間が並んでて。お店によって違うんだけど、狭いところは間口が自転車1台分より狭いような扉1枚しかなくて、その中にピンク色とか変な色の蛍光灯が点っていて、女の人が立ってるんですね。そういうのがずらーっと。僕が最初に見た時でも20人か30人ぐらいの人が立っていて。
日野:それはそう遠くない昔の話ですか?
阿川:10数年前だったと思う。21世紀の日本じゃないみたいなね。
日野:外国人の方が多かったんですか?
阿川:そう思いますねぇ。なかなか目を合わせられないからチラ見をしつつ、でもちょっと見ようとするとすぐ「私を選んで!」っていう顔をするわけですよね。女を買いに来たわけじゃないから居心地悪いんだけど、ものすごく面白いところに来たっていうワクワク感があった。
■ 黄金町@過渡期。
阿川:すごく変な場所で、なんで今でもこんな街が残っているんだろうって。だからこの街がどう変わっていくかっていうことに俄然興味を持って、ときどき街のようすを見てたんですけど、なんとなくお店が減った時期があって、しばらく来なかったんですよね。その頃、知らない間に売春宿は追い払われていて、カラだけ残ってて。その空いたところを利用して、「黄金町プロジェクト」っていって一種の町おこし運動を始めた人たちがいて。街の探検ツアーとか、そういうことをやってたんですね。
日野:何年前ぐらいからそういう動きがあったんですか?
阿川:たぶん一掃された直後ですから、5年ぐらい前ですよね。変わった、いかがわしい場所なんですけど、へんな魅力があるわけだから。
日野:魅力ありますね。
阿川:そういうのを毛嫌いして触らない人と、自分が女を抱くとかそういうんじゃなくてもそういう場所に興味を持つ人と、たぶん人間には2種類あって、どっぷり足を踏み入れるかどうかは別にして、その空気みたいなものを見るのが好きな人たちって結構いるわけですね。
日野:少し変わった感性の人たちが集まってきたというか。
阿川:そうそう集まって。そういう一種の運動があったんですけれども、もともとの、街をきれいにしたいっていう人は、できるだけ早く売春宿の痕跡を消したい。だから売春宿の集まっていた街というのを一種の売りものにして面白がるっていうことに対して非常に抵抗があった。黄金町が売春の街になったのは戦後なんですね。ふつうの街だったのに、いわゆる戦後のどさくさというやつで変わっていってしまったんですね。自分の街がぐちゃぐちゃに壊されて、踏みにじられたような感じを持ってる。だから街に住んでる人たちから見ると、売春という歴史を看板に掲げて人の興味を引くっていうことが受け入れられないことだったんだと思います。ところがある時、「黄金町プロジェクト」は活動をやめます、と。彼らがやろうとしてたことは地域から受け入れられなかった、ということだけがわかった。その時点では、気持ちはその人たちに寄っていたので、「なんでなんだ?」っていうね。歴史自体を塗りこめて消すことはできないんじゃないかって思ったんですね。人間の持ってる闇の部分みたいなものを消し去ることに対して、生理的な嫌悪感みたいなものがありましたね。人間の根源的な部分の「性」というものって、人類がうまれてからずっとあるんですよね。で、そこにある人間模様、それぞれの人の生き方みたいなものっていうのを、まるっきりなかったことにするような否定の仕方っていうものに対して、ある種の生理的反発みたいなのがあったんですよね。そういうのも含めて、僕もちょっと排斥されたような感じがして。僕は、見てただけなんだけど(笑)。その後なんだかつまんない街になっちゃうように見えたんですね、僕にとっては。
奪われたすべてを奪い返せいま風高く吹け五月一日
待ちわびて桜を映す中津川歩けば綿毛は応えて空へ
セーターをたためばいよいよ新しい五月は春から初夏へ踏み出す
連休の昼より平日朝に混む普通の駅のこの駅が好き
「ハナミズキはまだつぼみです。元気です。」たまには写メールなんかしてみる
足元に広がる空が七日前より伸びてゆくあぜ道に立つ