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- 2011.12.11 Sunday
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はじめまして、くしだです。
今回はいつもと趣向をかえまして『Book-Offで歌集を買う』をテーマに書きすすめます。
最近、短歌に興味がわいてきたんだけど…、歌集を買いに近所の書店に行ってみたんだけど…、で、結局、歌集ってどこで買うの?というあなた、あなたは正しい。
歌集って一般社会のなかでは宣伝をみたことないし、コンビニにもないし、いつも行く書店にもそれらしい棚はない。実に不可解な本ですよね(笑)
それでも歌集は、日々出版されています。では、その歌集はどこに消えたのか?
答えは簡単。
(1)出版社に眠っている。
(2)著者のもとに眠っている。
(3)贈呈先のだれかのもとに眠っている。
これが、おおかたの歌集の所在です。
ですから、書店にでまわっている歌集はほとんどない、といっても過言ではありません。
インターネット環境があり、上記のようなことがわかれば、かんたんにあなたのお好みの歌集を入手することができます。よかったですね。
>ガ〜ン!情弱なおれは歌集買えないやん(泣)
いえいえ、情弱なあなたにピッタリなスポットがわが国にはちゃんと用意されております。それが、今回のテーマ、ブックオフです。
>ブックオフってラノベとコミックしか置いてないのかと思ったお。
それは、あなたがラノベとコミックのコーナーに張り付いているからでしょう(笑)たまには、奥まで行ってみましょう。
と、いう訳でわたしは去る5月21日、実際にブックオフへ出掛けてみました。
ヘリウムガス吸っておかしな声のまま受話器のなかであなた唄った(『五十音式』より)
はい、どうもです、日野です!!
まだまだ世の中、震災の余波でごたごたしていますが、いかがお過ごしですか?
ただただ、みなさんがすこやかであることを願っております。
Kotonoha-mixではこれまで、さまざまなクリエイターさんたちとの対談をお届けしてまいりました。
が、諸々の事情で今年、お話がうかがえておらず…さてどうしようと考えまして、ここは満を持して日野のフェイバリットアーティスト・有村竜太朗さんについて語ることにいたしました。
日野の身近な人はご存知かと思いますが、有村氏はPlastic Treeというロックバンドのヴォーカル・ギター担当でして、ファッション誌「KERA」の「パノラマ白書」というページに毎月短歌を連載されています。
というわけで、さすがに取材の申し込みはためらわれ、一方的に書かせていただくわけですが…してみたいよなー、取材。
■夜遊びは少女幽霊のはじまり。
時をさかのぼること17年、少女日野とPlastic Treeとの衝突は1994年の夏でした。これわりと、妙な自意識で公言するのがはばかられていたんですが(笑)、Plastic Treeのインディー時代と日野の高校時代の3年間が、がっつりとかぶっていたのです。それはもう奇跡のように。
みなさんも、思い出してみてください。少年少女時代、とりわけ中学・高校時代の体験って、悔しくなるぐらいキラキラしてますでしょ?
わたし、当時ですらそれがおそろしくて、冬の風呂場で頭から水をかぶったりしていました。どうやら、なにかを中和したかったらしい。
それはさておいて、少女日野がPlastic Treeをたまたま目にしてしまったのは、千葉は市川の(今はなき)CLUB GIOの通常ブッキングの夜。ヴィジュアル系ながらニューウェイブやパンクの流れを汲んだロックンロールという個性的な音楽性もさることながら、黒いドレスで跳びはねたりクルクル廻ったりパンキッシュにシャウトする有村さんに、ハートをわしづかみされたものです。
その3ヶ月後にわたしの地元・横浜でライブがある時に、はじめて手売りのチケットを買い、それから日野の「プラ通い」がはじまったわけです。
もともと文芸や音楽にはマセガキだったわたしも、村上龍や安部公房などを読んだり、「時計仕掛けのオレンジ」や「ベティ・ブルー」を観たり、The CureやRadioheadを聴いたのは、有村さんの影響でした。16歳の夏に聴いたMy Bloody Valentineはずっと残響しているし、宮沢賢治作品やエヴァンゲリオンにたどりついたのも彼(ら)のおかげ。
わたしと創作との蜜月もこの頃で、なんて幸せな少女時代だったんだろう。
北東北では、GWの今が桜の盛りです。
今年は咲き初めの時期に雨が降り、色が褪せることを心配していましたが、
連休後半は天気が持ち直す模様。
5月には、天皇陛下が、
岩手県の震災の避難所を慰問されるというニュースを見ました。
なんとなく、この歌を思い出しました。
百人一首に取り上げられている、藤原忠平の和歌です。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
小倉山の峰の紅葉よ。もしお前に人間の心があるなら、
もう一度天皇がいらっしゃるまで、散らずに待っていてくれないだろうか。
という意味です。みゆき、とは、「行幸」。天皇のお出かけのこと。
いまの季節なら、「みちのくの 野のさくら花 心あらば〜」と歌いかけるところでしょうか。
木を切り、山を開き、
堤防を築き、土にはコンクリートで蓋をした。
煌々と灯をともして暗闇を払い、
わたしたちは夜に勝ったと、そう思っていた。
現代社会に生きていると、とかく「科学で解明できないもの」を迷信扱いして忌避しがちですが、
こう天災が続くと、「人が自然をコントロールしようなど、なんとおこがましいことか」という、当たり前のことにぶちあたりますね。
もちろん、宗教も神話も完全なものではありません。所詮ひとが紡いだ物語ですから。
「安全神話」なんて、幻だったことに気付いたでしょう?
それでも人は、「畏れること」を忘れてはいけない。
それを証明するネットの記事を紹介します。
http://usio.feliseed.net/paetone/
http://blog.tatsuru.com/2011/04/07_1505.php
http://blog.tatsuru.com/2011/04/08_1108.php